【石灰】美祢と鉱山 -Mine | UBE三菱セメントと宇部伊佐鉱山の門前町を巡る

中国

現役の鉱山を求めて

2023年1月、山口県 美祢市へ向かうべく、中国自動車道を東へ駆けていました。この日はあいにくの曇天。鉱業都市に相応しい天気と言えば聞こえが良いですが、やはり晴天に越したことはありません。正月のおみくじは大吉を示したものの、日ごろの行いにまだまだ改善すべきてんがあるということでしょう。

この度、美祢へ向かった理由はただ一つ、現役の鉱山都市を求めてです。これまで石炭産業の栄光を背負う街々を訪れ、広大な工場用地跡や門前の商店街などを眺める中で思うわけです。「往年の賑わいを見てみたい」気づけば、足が空港へと向かっていたのでした。今回の目的地は宇部興産の企業城下町 内陸の美祢と沿岸の宇部。セメントの原料調達から製品製造の一貫工程に触れられる国内でも希少な現役鉱業都市たちです。

美祢では、宇部伊佐鉱山で石灰の採掘とセメントの中間製品 クリンカーの製造までを行い、その後、宇部興産専用道路を通じてトレーラーにて、沿岸部に存在する宇部市の工場に運ばれていきます。今回はその両都市の様子を紹介し、日本の資源国としての一面をご紹介できればと思います。

薬仙石灰株式会社

美祢インターを降りて最初の見どころ 薬仙石灰株式会社さん。

巨大工場群

宇部マテリアルズ

早速の鉱山風景にテンションが上がりつつ、集落を分け入るとすぐに見えてきたのがこちら。

宇部マテリアルズ 美祢事務所・工場

宇部マテリアルズ 美祢事務所・工場

消石灰や工場用の耐火煉瓦の原料を製造している宇部マテリアルズの入口です。場所はこのあたり。

中央のクレーターのような窪みが宇部伊佐鉱山、石灰の露天掘りが行われる現役の鉱山です。
鉱山の南側には、東から宇部マテリアルズUBE三菱セメントの工場が立地し、それらの南側 国道435号に沿うように、美祢市伊佐の集落が形成されています。
中国地方から九州北東部にかけては国内でも有数の石灰岩の産地。山口県では秋芳洞やカルスト台地が観光地として有名ですが、これらも石灰岩系の地質が生み出した景勝地となっており、イメージが付きやすいのではないでしょか。石灰はセメントの原料となるのみならず、製鉄やガラス製造、農業にも生かされています。石油やLNG等を念頭に資源小国と称される日本ですが、石灰岩は国内で100%自給可能な鉱物資源なんですね。恥ずかしながら初めて知りました。

工場と地域の暮らしは密接している。

公道には騒音計が設置されていた。地域にも様々な意見があるのだろう。

宇部マテリアルズ 美祢事務所

宇部マテリアルズ 美祢事務所

年季のいった駐車場心得。風貌だけで語るものがある。

旧街道筋から眺める工場群は美祢の象徴的な眺めだろう。

先ほどの事務所から西進し”門前町”伊佐を歩きますが、このあたりの街並みは後ほどご紹介するとして、引き続き工場を見ていきます。

かつての通用門?

門に至る橋はかなり年季が入っている。

工場の敷地を広げるに際して廃止となった出入口なんでしょうか。この傍には貨物線跡もあったりするのですが、後述させていただきまして、その他工場風景を見ていければと思います。

宇部マテリアルズの全景。圧巻である。

日ごろの行いが奏功し天気も好転してまいりました。毎日6階のオフィスまで階段だけで上がり続けた甲斐がありました。。はい。

中央の貯蔵タンク?の上部にカルシードライとペイントがありますが、これは消石灰を用いた衣料除湿剤のこと。宇部マテリアルズが販売する数少ない一般消費者向け製品でして、石灰さんには何かとお世話になっているのだと思い知らされます。

コンベアで運ぶのは石灰なのだろうか。これほどの規模のものはなかなか見ない。

続いて隣接するUBE三菱セメント側のプラントを見ていきます。

UBE三菱セメント

集落外れの国道435号から。鄙びた街並みと工場。なんとも近代日本らしい眺め

男心をくすぐる配管群。冷却用途であろうか。文系人間は分かったフリが得意である。

2022年4月、UBE(ユービーイー)に改称された宇部興産。USBと空目しそうですが、なかなか格好いい社名となりました。80年近く使われた社名の変更の背景には、ご多分に漏れずグローバル戦略への舵切りがあるようです。近年では旭硝子がAGCとなるなど、しばらくこの動きは続くのでしょうか。

UBE三菱セメント 伊佐セメント工場

UBE三菱セメント 伊佐セメント工場

同社は宇部興産と三菱マテリアルの出資で2022年4月に誕生した企業。セメント業界の中位につけていた両社の統合により、現在はセメント業界の3本指に入る企業となりました。刷新されたイメージカラーも白地でなんとも柔らかな印象です。

伊佐セメント工場 入口

名標には「宇部興産」が残されていた。

入口右脇には事務所がある。

本日は日曜日ですが、駐車場は賑わっておりました。工業系の企業は交代制で工場の稼働を維持されているのでしょうね。お疲れ様でございます。

私の弱みを見透かしているかのような横断幕を発見・・

工場 全景

宇部興産専用線跡

続いて、工場に付随していた貨物線もせっかくなので見ていきましょう。
宇部興産専用線、かつて工場内と美祢駅間を結んだ2kmほどの貨物専用線です。2014年(平成26年)以降、使われることがなくなりましたが、レールが未だ多くが剥がされることなく残っており、当時の雰囲気を楽しむことができます。

旧宇部興産専用線跡

旧宇部興産専用線跡

往年この貨物線は、美祢線を通じて瀬戸内側の宇部まで石灰石などを運ぶ貨物列車が一日30往復以上(!!)運行される大動脈でありました。ただ、その後全列車が宇部興産専用道路を通じたトラック輸送に転換されることになって現在に至ります。背景には、国鉄美祢線がストライキなどで運休になることがあり、石灰の安定輸送に影響があったためといわれています。

旧宇部興産専用線跡

工場内へ延びる線路。面影は残っている。

晩年には美祢と山陰線岡見駅を結ぶ貨物列車、いわゆる岡見貨物が運行され、美祢から中国電力の三隅火力発電所がある岡見へ炭酸カルシウムを、岡見から美祢へ石炭灰を運搬していました。ただ、大雨による路線の運休が響き、2014年(平成26年)に同列車の運行停止。ともにこちらの貨物線も廃止となってしまいました。

旧宇部興産専用線跡

反対、美祢駅方面。こちらはまだまだ使えそうな状態だ。

日に30往復というと、1時間に数本の貨物列車が往来していたことになります。単線としてはかなりの本数で、当時は大いに賑わっていたのでしょう。

踏切には見張り小屋?

往年は良い写真が撮れただろう

厚狭川を渡る貨物線。美祢線はこの厚狭川を伴侶に瀬戸内海を目指す。

鼠色の街に白さぎ?は実に美しく映えた。

伊佐の街並み

続いて、工場の生産活動と共にあった地域の暮らしについても見ていきましょう。

日なたぼっこ中のぬこ殿

鉱山関連の街ではよくネコを見かける気がします。今回も仲良く日なたぼっこ中のネコちゃんを発見。屋内からも見慣れぬ探訪者に興味の目を向ける子たちが何匹かおりました。お邪魔します!

煙突のある街

蒔ストーブ?はたまた五右衛門風呂でしょうか。素敵な暮らしが想像されます。アウトドアをしたいと思いつつ、手を出してこれなかった筆者。今年の目標としましょうか。

伊佐から眺める宇部マテリアルズ

街から眺める工場。伊佐の象徴的な眺めである。

これほど職住近接的に街並みが形成される企業城下町も珍しい気がしますがいかがでしょうか。
セメント工場は他業種に比べると騒音や異臭が少なく、共存しやすいとかあるのでしょうかね。グローバル戦略を突き進む工場に比し、伊佐の街並みは時計の針がゆっくり進んでいる印象。この時間的コントラストがまた伊佐の魅力でもありましょう。例えばこちら、

1970年代のペプシコーラのロゴ

ペプシコーラのロゴも懐かしい雰囲気がある。

こちらのロゴは1970年代のもの(以下資料参照)。半世紀近く時が止まってしまっているようです。
元々は工場勤務の方の職住近接で賑わった街が、その後の自動車の普及で遠方からの通勤も可能となり、工場近くに住む必要がなくなってしまい、少しずつ時計がゆっくり進むようになっていった。。。というところでしょうか。

ペプシコーラのロゴマークの遷移 出典:Workship MAGAZINE

工場側から街並みを眺める。木造建築が多い。

美祢市 恵比寿神社

恵比寿神社

米に電気にガス。生活インフラが整うメインストリートであったと思われる。

美祢市伊佐から眺める工場

再び集落から工場を。

焼肉大平楽

焼肉 太平楽さん。口コミの評価もよろしく、美祢の皆さんの胃袋を掴んでいるお店のようだ。

界隈では著名なノコギリ建築

敷地と同様な形状に建築する方が空間を有効活用できそうな気もしますが、被写体としては素晴らしい物件ですねぇ。

1階部分が潰れかけていた

メインストリートから路地へ入ってみる

ひろ重

ひろ重さん、跡だろう。スナックか喫茶店だったのか、小洒落た外観である。

周囲は空き地が目立つ。往年には路地裏の名店などもあったのだろうか。

旧伊佐郵便局

旧伊佐郵便局。どちらが先に完成したか分からないが、木造側のちょん切られ感が面白い。

旧伊佐郵便局

正面から。品のある佇まい。伊佐の街が古くから賑わっていたことが分かる。

理容やまもと

理容やまもとさん。人の生活の数だけ、フォントがある。

秋本金物店

秋本金物店さん

伊藤呉服店

伊藤呉服店さん。

雨水収集装置

集落の各所に不思議な櫓が設けられている

前述の騒音測定器も踏まえると雨水の状況を測定する何らかの装置と思われる。

すっかりビデオショップも過去の存在になってしまった。

UBE三菱セメント入口に至る道路沿いに気になる看板を発見、

名物宇いち饅頭

その名も名物宇いち饅頭。宇一翁とはいったい・・

ちょうどお昼前で小腹が空いてきたところでした。行ってみましょう。

斉藤製菓屋内

宇いち饅頭 店内。ショースには何らかの好物。化石もなかの名称もいかにも美祢らしい

壁面には各種案内が

これを読みといていくと気になる宇いちは饅頭の発明者の名前なのだそう。美祢で採掘される泥付きの石灰岩から着想を得て、昭和初期に完成したのが宇一饅頭。現在は三代目の店主が切り盛りされており、この日も店の奥からご対応いただきました。せっかくなので5個入りの饅頭を購入。

名物宇いち饅頭

改めて斉藤製菓さん 宇いち饅頭

宇いち饅頭

ふぞろいな形がいかにも鉱物らしい

蜂蜜が染みこんだ堅めの生地に白あんが包まれた不思議な食感で、まろやかな甘みがありました。ちょっとしたお茶菓子に良いのではないでしょうか。ご馳走さまでした。

斉藤製菓

石灰と共にある暮らし。いつまでも続いて欲しいお店であった。

JR美祢線 美祢駅

最後に街の玄関口、美祢駅を訪れます。美祢線は瀬戸内側の厚狭と日本海側の長門市と結ぶ非電化ローカル線です。ただ、前述のとおり石灰運搬をはじめ、かつては石炭輸送でも賑わった路線で、往年は貨物の取扱量で日本一となるなど、栄光の歴史を持った駅でございます。

JR美祢線 美祢駅舎

美祢駅舎

美祢駅駅前ロータリー

駅前ロータリー

美祢駅前

とはいえ駅前商店などは静寂に近い

撮影中にコミュニティバスが発着し、数名の高齢者が降りていかれました。駅に向かう方はおりませんでしたが、市役所も近く、美祢市の政治・産業の中心ではあり続けているようです。では駅に入ってみましょう。

美祢駅構内

2面3線の駅構内だが、島式ホームは使用が停止され、手前側の1面で上下線を捌いている。

美祢駅改札

以前はみどりの窓口やうどん店もあったという駅だが、現在は無人駅

現在は単行の気動車が発着する。今の需要からは想像できない長大なホームが栄光のおもかげだろう。

美祢駅駅名標

美祢とMine

現役の鉱山都市とはいえ、鉄道の経営はご多分に漏れず厳しいですね。

以上、山口県美祢市のご紹介でした。伊佐からの見上げる工場群はなかなかの眺めでしたので、界隈の方にはおススメできる街でございます。この後、海沿いの工業都市 宇部へ向かいセメントで栄えた街並みと宇部興産専用道路を見ていこうと思います。

つづく

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