2020年12月、伊田の街を後にし、もう一つの田川市の中心街 後藤寺地域にやって参りました。目的は以下の商店街と巨大廃墟たる西鉄バスターミナル。
とはいえ、
街を知りたければ駅を知れ
どこぞで耳にしたこの格言に従い、同地域の玄関口 田川後藤寺駅を見学することにします。伊田地域の玄関口の田川伊田駅同様、「田川」を冠しているのが印象的です。
これは過去に「どちらが田川駅を名乗るに相応しい地域だ」と田川市に属する伊田、後藤寺の両地域が揉めに揉めた結果の産物。双方が「田川」を名乗る妙案は結果的に良かったと思いますがいかがでしょうか。ちなみに田川市役所もそんな両地域に気を遣うように、
両地域のほぼ中間点に所在しています笑
田川後藤寺駅とはどんなところ
というわけで入場券を購入し駅構内へ。人件費削減の波が各地を襲う中、本駅はJR九州直営の有人駅。さすがです。
田川後藤寺駅は、JRの日田彦山線と後藤寺線、平成筑豊鉄道 糸田線の3路線が乗り入れるターミナル駅です。
開業は1896(明治29)年、その開業は山陽本線の神戸・下関間の全通よりも時期が早く、いかに炭鉱地域が重要な投資先かつ地域で鉄道が求められていたかが分かります。
非電化地域のターミナル駅は空が広く、跨線橋からの眺めはなんとも気持ち良いものです。
手前ホームの0番線から奥の4番線ホームまでが存在。写真中央の2番線ホームが平成筑豊鉄道の専用線となっております。現在は車止めがありますが、かつては他線とも繋がっていたのでしょう。
とはいえ、かつては国鉄 糸田線であったことから改札を分けず、仲良く共同生活を送っています。
コカ・コーラの自販機がZ世代代表として孤軍奮闘中。車両、ホーム共々、貫禄がありすぎます。
大切に使用される駅
せっかくなので、反対ホームも見学しに来ます。列車、ホーム同様に気になったのがホームの上屋です。
錆をまとった古レール、煤けた跨線橋。曇天も相まってもはや産業遺産のような雰囲気が出ています。
1960年代の航空写真では既に同じ位置に跨線橋が確認できます。戦前、下手すると駅建設時から残るものでしょうか。いやさすがにそれはないか・・
国鉄型気動車の楽園
広い空、煤けた駅構造物。本駅の見どころは色々ですが最後はやはりこちら。
この国鉄気動車だらけの眺めでしょう。視界に入るのはキハ40系列のみ。
振り返れどもキハ40系列。全国に分布した主ですが、車歴も40年を超えてまいりました。
何十年間に渡る日常の眺めも終わりの時が近いのではないでしょうか。
駅構内には、気動車の排気音と各方面へ発車する列車に乗り間違いが起きないように、案内放送が繰り返し流れています。気動車ばかりのローカル駅ながら、ターミナル駅らしい”賑わい”がある。これが田川後藤寺駅で特筆すべき点かもしれません。
各地で鉄道の存続が議論される中、移動手段として人々の生活に深く根付いていた鉄道。その一端を今でも見られる田川後藤寺駅、おすすめの場所でありました。
今回の探索は動画にもまとめているので、ご覧ください。繰り返し流れる構内放送、気動車の排気音などターミナルらしい賑わいをご堪能ください。
つづく
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