2016年秋の天皇賞から競馬の歴史を紐解く

2016年天皇賞秋 関東

こんばんわ。GW初日、皆さんいかがお過ごしでしょうか。今回は番外編!いつもと違う話題でいこうと思います。さてさて、本日5月3日は、何の日でしょうか。

そう、憲法記念b・・・春の天皇賞ですね。

 

コロナ禍で様々なイベントが中止される中、無観客で開催を続け、観客動員をしていた昨年とほぼ変わらない売り上げを出しているという競馬界。ファンの競馬愛の賜物か、はたまたJRAの経営手腕なのか。いずれにしても、この災禍が静まった頃に、きっと再評価されることになるでしょう。

というわけで、今回は、いつもと異なるテーマで、今となって懐かしい賑わいの祭典、2016年秋の天皇賞を府中競馬場で観戦した際の様子をご紹介しながら、天皇賞の歴史にスポットライトを当ててみたいと思います。

競馬にもいろいろあるんです

関東圏内には、JRAが管理する競馬場が二か所あり、千葉県の中山競馬場、そしてこの東京都府中市にある東京競馬場です。そう聞いて

いや東京には、大井競馬場があるでしょ!

と思われる方は、東京モノレールによく乗車されていますね。実は国内には、競馬を開催する主体として、農林水産省系の法人が運営する中央競馬と都道府県や市町村などの地方自治体が主となって運営する地方競馬があるんですね。

例えば大井競馬場なんかだと、競馬場自体は、東京都が出資する大井競馬場株式会社が所有、そして23区が共同で運営する特別区競馬組合が競馬場を賃貸借し、東京CITY競馬を開催しております。そこで上がった収益は、23区に等分され、各区の貴重な歳入となっています。その額およそ2億円/区(H29)

人々を楽しませ、その収益を再び行政活動に役立てられるので、なかなか素晴らしい歳入源です。そんな地方競馬と中央競馬には、他にも違いがいくつかありまして

中央競馬

  • 場 所:東京・中山・京都・中山
  • コース:・ダート(砂)
  • 開催日:基本、土・日・祝日の日中
  • 賞 金:1億円を超えるなど高額

地方競馬

  • 場 所:帯広・門別(北海道)・札幌・盛岡・水沢・浦和・船橋・大井・川崎・金沢・笠松(岐阜県)・名古屋・中京・園田・姫路・高知・佐賀
  • コース:ダート(砂)
  • 開催日:曜日に関係なく開催ナイター開催の競馬場も
  • 賞 金:中央競馬よりは少額

なるほど。今回観戦する天皇賞は、中央競馬が主催するレースです。会場は、東京競馬場。

東京競馬場が府中という場所にあるのには、いくつか理由があるようで、戦前、東京の目黒にあった目黒競馬場が手狭になった上に、周辺の都市化が進み、借地料が高騰したため、移転先を探すことになりました。その時に名乗りをあげたのが府中市。さらに、旅客数の増加を期待した府中市内を走る南武鉄道(現在の南武線)の後押しもあり、1933年、この地に競馬場が建設されたのでした。

南武線は、現在では、混雑がひどい路線として有名ですが、京浜工業地帯への輸送を目的として敷設されたため、当時の主なお客さんは、人ではなく砂利や石灰などの貨物。ただ、売り上げ増のためには、旅客も増やす必要があります。そんなタイミングでいい話が舞い込んできたわけです、

ではでは200円の入場料を支払い、いざ参りましょう

夢を買う場所 東京競馬場

おおおおおおお馬さん!

こちらは、レース前にお馬さんを吟味するするパドックという場所。近くで舐めるようにお馬さんと向き合うことができますよ。

東京競馬場パドック

賑やかですね。カラフルなウェアを着ているのがジョッキー。この中に入れるのは、JRAスタッフ、馬のオーナーなど限られた人々のみ。周囲から熱い羨望の眼差しが降り注ぎます。

パドックでの見物はレース開始の数十分前に終了。ここから見学者は、パドックの背面にある建物へ移り、各々の馬に夢を託し、馬券を購入します。購入後、パドックと反対側の出口から屋外へ!そこが、レースの舞台となるコースです。我々はスタンドと呼ばれる観客席から、想いを託した馬券を握りしめ、固唾をのんで、歓喜の瞬間を待つのです。レースが開催される日は、1日に十数レースが行われ、馬券を買わずとも、全力で駆け抜けるお馬さんたちを見ることができます。

河口湖特別 東京競馬場

こちらは天皇賞の3つ前のレース 河口湖特別。競馬素人の私は耳にしたことのないレースではあったのですが、それでも十分の見ごたえ!

賭け事をせずとも、ショーとして楽しめます。競馬というと、ギャンブル依存症やら借金、酩酊したおじさんなど、どうも悪いイメージが付きまといますが、競走馬が広大な競馬場を猛スピードで駆け抜ける姿を見るのは悪くないもんです。

天皇賞の誕生の裏には不平等条約?

さてさて、そしていよいよ天皇賞の時間となって参りました。と、その前にこのブログらしく天皇賞の歴史をおさらいしましょうか。

決して踏み込んだ競馬の話ができないからではないですよ、決して

そもそも天皇賞という名前って国粋主義的な香りで溢れておりますよね。このご時世にどうしてでしょうか。この疑問を解決するためには、明治時代にまで遡らねばなりません。

維新を成し遂げた明治新政府の次なる目標は、近代化された諸外国の仲間入りをすることでした。富国強兵、殖産興業の下に、お雇い外国人の指導の下、工場の建設などハード面での近代化政策が順調に進められます。こちらは有名ですね。

一方で、仲間入りに際し、大きな障壁となっていたのが、幕末期に欧米列強と締結した不平等条約。治外法権、関税自主権不保持といったやつです。

政府は、欧米諸国に対等な条約締結を求めますが、欧米人にとって、日本は、封建主義的慣習が残り、法整備も十分にされていない、前時代的国家でありました。外交の中でそれを嫌というほど痛感した日本は、ソフト面でも近代化に取り組みます。法整備はもちろんですが、文化面でも「近代化」を推し進め、西洋文化を積極的に取り入れます。これが欧化政策です。教科書なんかでは、鹿鳴館での舞踏会なんかが描かれますよね。

話は大きくそれましたが、実はその欧化政策に天皇賞のルーツがあります。

天皇賞のパドックを歩くモーリス

当時、国際港 横浜の近くに存在した横浜競馬場。1866年、外国人居留地の娯楽施設として作られ、維新後、外国人によって運営がされるようになります。そこに関わっていたのがイギリス公使。諸外国と距離を縮めるべく、明治天皇や政府高官が足繁く横浜競馬場に通います。そんな折に耳にしたのでしょうか。イギリスには、ピューリタン革命(清教徒革命)後、名ばかりの共和制を経て、晴れて王政復古を果たした国王が、豪華な賞品を下賜した上でレースを設立したという故事がありました。

天皇賞のパドックのラブリーデイ

それはちょうど、大政奉還によって王政復古を果たした日本に重なります。明治天皇は、この故事に倣い、銀製の豪華な花器を下賜。1880年6月、その花器を優勝賞品として争われたのが、Mikado’s Vase。その後、幾度かの名称変更を経て、現在の天皇賞が、今日でも開催されているということなんだそうです。

我々の娯楽である競馬にも、思わぬ歴史が詰まっていたんですなぁ。競馬というと、先述したようにどうも軽薄なギャンブルのイメージが付きまといます。しかしこうして掘り下げてみると、伝統に裏打ちされた嗜みにも思えてきます。調べてみると物の見方も変わるもんですなぁ

2016天皇賞秋のパドックの混雑

と、説明がてら紹介していたのが、天皇賞のパドックの様子。天皇賞は4歳以上のお馬さんしか出走できません。先ほどのパドックにいたお馬さんたちと比べると、心なしか、からだが大きくありませんか。

そんな彼らに熱い視線を注ぐ黒山の人だかり。コロナ禍の今となっては、懐かしい光景です。にしても密&密。人々の熱意、興奮を見られるのもまた競馬場の醍醐味ではないでしょうか。

では、いよいよレースを観に行きましょうか!

興奮はファンファーレと共に

第154回天皇賞秋

運命を決めるゴールライン。観客は歓喜の瞬間を期待しながら、その時を待ちます。

興奮を煽るのがこのターフビジョン。実はこれ、世界最大の映像装置。三菱電機さん、いい仕事しよりますな。

タータララータララータタタタン!!

心地よいファンファーレが鳴り響くと、いよいよです。この瞬間、観客の盛り上がりは最高潮に。10万人の歓声、拍手が鳴り響きます。

この興奮は、ある種のまやかし。叶うかも分からない勝利への期待による、儚いものだと頭では分かっているんです。でも、その興奮に自分を委ねたくなる。集団とは恐ろしく、それでいて筆舌しえない興奮をもたらしてくれます。

各馬、一斉にスタート!!

2016天皇賞 

先ほどまでの盛り上がりが嘘のように、観客たちは、思い思いの馬たちに静かに視線を向けています。

第3コーナーのカーブ。静かに、それでも着々と馬たちは、勝利の瞬間に向けて、駆けていきます。

そして第4コーナー

うおおおおおおおおおお

いけええええええええええ

dkんうbぢおあんっくzbsでkm!!!

天皇賞1着のモーリス

1着は、ムーア騎手のまたがるモーリス

勝っても負けても、清々しい。それが競馬なんです(負けた奴のセリフ)

 

というわけで、天皇賞のご紹介でした。当日のレースは、Youtubeにありますので、こちらも併せてどうぞ

- YouTube
YouTube でお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。

全力で駆けるお馬さんたちを見るのも悪くありませんが、それだけでは今日の競馬の地位はなかったでしょう。観客の興奮も合わさることで、ストーリーが生まれ、それがまた魅力となって、きたはずです。コロナによる無観客は、競馬の歴史に新たなストーリーを刻んだわけですが、いつかまた、溢れんばかりのスタンドを見られるようになる日を願って、おしまいとしたいと思います。

アクセス

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました