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稚内から鈍行列車に揺られて5時間、旭川に到着しました。ただ、第二走者特急オホーツクの発車までは約50分あります。どうしたものか。
そんな時、稚内で起床してから6時間、まともな食事をしていないことに気づきます。
旭川から次の目的地の網走までは3時間強の道のり。ここで機会を逃せばオホーツクの車内で干からびてしまう・・・かくして脳内会議にて
待ち時間で食事を摂ることが採択
されました。しかし、ただ食事するだけでは面白くない。欲深い私は、この短い間に名物 旭川ラーメンを堪能しようと画策したのでありました。しかし時間は朝の10時すぎ。こんな時間にやってるラーメン屋など・・・・
ありました!駅から10分で往復20分。慣れない土地で迷うことや改札からホームまでの移動などを考慮すると、ラーメン屋で過ごせるのはおよそ20分。
行ける!!
食べログよありがとう。踊る胸のままに改札を飛び出したのでありました。※2017年2月撮影
ちょっとだけ旭川散策
駅から延びるメインストリートでは、で氷で作られたとは思えない精巧なオブジェと
かわいい雪だるまさん
寒さを忘れさせてくれるような温かいお出迎えをしてくれました。昨日、稚内に降り立ってから大自然に身を置くことが多かったため、人が造り出したアート作品にいつも以上に感動していたような覚えがあります。
全国の地方都市が駅前商店街のシャッター通り化に頭を悩ます中、旭川の街はは賑わいを失っていません。駅前の一等地にこれだけの歩行者用道路があるのもあって、多くの人が行き交っていました。これなら安心して街歩きを楽しむことができます。いやぁ良い街だ。メインストリートをしばらくいって、道を折れ、路地を進んでいくと
お目当ての旭川ラーメンのお店 蜂屋 さんに到着。
朝早くからありがとうございます。
壁がけのメニューにお手製の写真。懐かしい雰囲気がありますね。どれも惹かれるところですが
醤油と豚骨のWスープに焦がしラードを溶かし込んだスープが絶品。
Wiki曰く、かつて養豚業が盛んだった旭川。捨てるしかなかった豚の骨を活用して造られたのが豚骨スープで、その臭みを消してコクを引き出すために魚介系のスープを混ぜ合わせたことでこのWスープが生まれたとか。
具材の旨味と香ばしさを楽しみながら、久々の温かい食事に舌鼓を打つのでした。ごちそうさまです。
着丼も早く、美味しかったこともあって早々に平らげてしまったので、旭川の想い出を作りつつ、オホーツクの発車時間にも無事に間に合うことができました。挑戦してみるもんですね。
特急オホーツクで冬の石北本線をゆく
からだに温かさを残しつつ、旭川駅に戻り、11:18発 特急オホーツク3号に乗り込み、流氷を見るべく網走へ向かいます。車両は国鉄時代に造られたキハ183系。3時間強の道のりです。仮に札幌から乗り込んでいたならば所要時間は約5時間。全長350㎞の道のり。往年の国鉄特急を彷彿とさせる悠然としたダイヤで走り続けています。
ただ、このオホーツク3号は、乗車後の2017年ダイヤ改正で札幌・旭川間と旭川・網走間を結ぶ2列車に分断され、前者をライラック、後者を特急 大雪号と称することとなりました。長距離特急は少しずつ時代に合わなくなってきているのかもしれません。
かくいう私は初めて目にしました。全国でもイカめしで有名な森駅、九州の折尾駅などわずかながら残っていますが、思わぬところで出会えて嬉しい誤算です。
新幹線ですら車内販売が廃止されていくこの時代ですが、このような旅情を感じられるサービスの需要はありそうなものですが。ぜひとも次旭川を訪れた時は利用したいものです。がんばってください!
特急オホーツクはそこそこの乗車率で発車。良くある雪景色の中を進みますが、上川駅を過ぎると様子が一変。人里離れた山間をゆっくりとかき分けていきます。
それで肝心のオホーツクの車中の写真ですが、早起きと満腹がたたり爆睡をかまして皆無。気づけば網走の地に到着していたのでした。
15:09 しばれる街 網走 着
さすがオホーツク海側の街です。旭川での晴天が嘘のように激しく雪が舞っています。来るべき時に来たなぁと感じます。
オホーツク号の乗車率はかなり高く、冬の北海道が観光大国であると実感します。しかしこの雪道でスーツケースは大変だ。駅員さんの長靴が雪国らしくて良いですね。
あばしりあばしりあばしり
名物はかにめし弁当です。北海道に来ると、1つしか胃袋がないことが悔やまれるようになりますね。こちらは時間帯があえば、駅前の作業所で作られたできたてのお弁当をいただけたはずです。
明治時代、内乱の頻発で受刑者は増加の一途だどっていました。時を同じくして、北海道は日に日にロシアの脅威にさらされ、一刻も早くインフラ整備が必要な場所になっていました。そんな時、政府は妙案を思いつきます。
増え続ける囚人たちを使って、北海道の開拓を進めよう!
こうして、北見から網走までを結ぶ道路整備などに囚人たちは充てられることになりますが、その労働環境は過酷を極めました。この地域にある囚人道路なる物々しい名前の道路が、その歴史を伝えてくれています。網走の発展を語る上でこの網走刑務所は欠かせないんですね。。
かつては刑期を終えた受刑者が列車に乗って故郷へ帰っていったといいます。そんな受刑者たちが
「この縦書きの駅名標のように、横道にそれることなくまっすぐ生き抜いてほしい」
と願いを込めて作られたのがこちら。彼らは出所後、真っ先に食堂を訪れ、ラーメンとかつ丼を頼み喉で味わうようにビールを飲んだことでしょう
シベリアからの贈り物
気温や天候によっては見られないこともあるようですが、本日はいけそうですよ!16:30の便に乗り込みます。サンセットクルーズということでしたが、太陽は厚い雲の中。無念。
流氷船の時刻表の詳細はこちらから調べることができます。1日5便。2月中の観測率が高いようです。
時間があるのでおーろら船乗り場まで徒歩で移動することにします。
ところがその道中は大変そのもの。私はこの旅に普通の街中を歩くような靴で来ていて、ここまで上手くやれて来ていました。ですが、とうとうこの網走の街で、すってんころりん。道中何度も尻もちです。
みなさん、雪用のブーツでお越しください。
ただ、駅と船乗り場の間にはバスも出ていますのでご安心を。
雪道を歩くこと30分。
そんなこんなでオーロラ船の出発ターミナルに到着。2階はフードコートになっています。
乗っかりたい気持ちは一観光客としてよくわかりますが、このポスターはなかなか衝撃的で効果が期待できそうですね。海に落ちないように注意書きを胸に刻んだところで、そろそろ乗船の時間!初めての流氷、期待で胸が高まります。
厳海へ繰り出す流氷船
船は動いたのに気づかないほどゆっくりとオホーツクへ。ここから小一時間の流氷の旅です。
流氷船は船内からもちろんのこと、船外で存分に楽しむことができます。ただ、船外は激寒。この旅一番の過酷な環境です。
港では、雪まつり?の準備が進められておりました。
ゆっくりと防波堤の内側を進んでいきます。
船跡に現れる群青色の海は生命を寄せ付けない、言いえぬ不気味さがあります。
先述のポスターにありましたが、流氷に乗ってはいけないというのが感覚的にも分かりました。
これがオホーツクの流氷
広大な海が凍り付く北国の気候。ここが日本とは信じられません。流氷船の照明が、流氷を鮮やかに照らしています。
オホーツク海は流氷が見られる南限のエリアだそうで、世界で最も低緯度で観測することができる希少ないエリアみたいですね。せっかくなので動画でもどうぞ。氷を砕きながら進む、その音もお楽しみください。
海を氷が埋め尽くしています。灯台がなければ方向感覚を失いそうなほど、世界が真っ白
出港からこの時間まで外にいると唯一無防備に風にさらされ続けた顔の感覚は、風と共にどこかへ行ってしまいました。
いやぁ大満足でありました。今度は日中、日差しで輝く流氷も望んでみたいくなりました。こうして網走再訪を誓ったのでありました。今回乗船したおーろら号。寒さに臆することなく、一度は乗っていただきたい観光船でありました。網走のほかにも紋別を拠点とした観測船もあるみたいですね。港を後にし、性懲りもなく徒歩で網走駅へ戻ります。
オホーツクの夜
時間は午後6時をまわりました。日中と一転、夜の帳が下りた街は、雪国独特の静寂に包まれています。
こんな出会いがあるので、旅先ではつい徒歩を選んでしまう筆者。復路は無事に尻もちをつかずに済みました。雪が良い具合に滑り止めの役割をしてくれたのかもしれません。
なんとか駅に戻って参りました。18:25 網走駅。ここからは本日最後のイベント。釧網線最終列車でタンチョウの街 釧路を目指します。
つづく
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