海峡を越えて九州へ 門司港界隈で大陸との繋がりを見る-中国地方縦横断part6/7

産業遺産

前回、萩の旅はこちら
https://ptakunote.com/2019/10/13/post-611/

2019年8月11日、山口県湯田温泉を発ちます。岡山県から中国地方を3泊4日で縦横断してきましたが、本日が最終日!勢い余って関門海峡を越え、門司まで行ってしまった記録でございます。

壇ノ浦PA

壇ノ浦PA

 

 

O泉さん「寝れないないんだよぉ」

 

 

関門橋

関門橋。高速道路に供用されている。

某水曜どうでしょうで出演タレントの悲痛な叫びが収録された壇之浦PAです。
海峡のへりに建つ本PAはすごい勢いで風が吹き抜けます。弱り切った身体にはひとたまりもなかったことでしょう。

ただ、日中であればこの絶景でそんな疲れも吹き飛びます。

1973年に造られた関門橋。それまで鉄道も自動車も海峡をくぐって九州に渡っていたのですが、こちらの開業によって、第3の経路が生まれたわけでした。

関門橋と関門海峡

対岸右端にはこれから向かう門司の街を望める

火の国 九州へ 

門司港駅

JR 門司港駅

てなわけで対岸にやってきました。最近お色直しを終えたばかりの門司港駅
国の重要文化財に指定された初めての駅舎です。贅を尽くした造りとなっているのは、JR九州の前身のまた前身、九州鉄道の起点駅で、戦前は中国  大連への連絡船が発着する大陸の玄関口であったためです。

終着駅というのは特に旅情をそそりますが、その先にある彼の地を連想させるからなんでしょうか。ちなみに2008年に訪れた際の写真がこちら

改修前の門司港駅

改修前の門司港駅

長年の風雨に耐え、良い具合に煤けた雰囲気もまた良かったんですけどね。それでもどこか上品な雰囲気がありました。

当時、駅舎内右手で営業していた大衆食堂のようなうどん屋で名物かしわうどんを食したのが良い思い出だったんです。

小倉駅ぷらっとぴっとのかしわうどん

小倉駅のかしわうどん(参考)

ただ、今回訪問した時には跡形もなくなり素敵な待合室に変わってしまっていました。おじさんギャップについていけず。

門司港駅構内

駅構内に入ってみましょう

外観に比べ、往年の古き良き渋さが残っています。

門司港駅改札

改札

上野駅や函館駅のように行き止まりの頭端式ホーム
私鉄のターミナルにはよく見られるホーム形状ですが、JRの路線ではなかなか珍しい存在。

門司港駅ホーム

駅構内ゆったりした造りになっている

かつては大いに賑わったことでしょう。駅完成時は本州、そして大陸への玄関口として機能した門司港駅でしたが、戦前の関門トンネル開業でその機能を隣の門司駅に譲っています。また大陸との繋がりも廃線を経て消滅。その雰囲気だけを残し、今に至っています。

国鉄時代からほとんど手が加えられていないような雰囲気で「もじこう」の駅名標がまた良い味を出しています。

ホームの長さ、広さから往年の賑わいが偲ばれます。

門司港駅

横顔も素敵な門司港駅

しかし、本当に上品な佇まいです。

 

門司港レトロと呼ばれる街へ

駅だけで終わらないのが門司港レトロ地区。順を追って見ていきます。まずはこちら

旧大阪商船ビル

旧大阪商船ビル

旧大阪商船ビル(現在の商船三井)1917年築。

建てられたのはちょうど第一次世界大戦真っ只中。戦争で世界的に船舶が不足する中、戦火を免れた日本の海運会社はこの機会を掴んで規模を拡大していきます。この大阪商船もそれに漏れず、北南米、大陸へと航路を広げていきました。そうした拠点として整備されたのでしょう。

旧門司三井倶楽部

旧門司三井倶楽部

こちらは旧門司三井倶楽部。1921年築。

三井物産門司支店の社交場として建てられました。今の会社でいう福利厚生施設の一つ。
長崎や筑豊など、炭鉱で栄え、財閥系企業が町の中心であった都市などでは今でもよく見かける施設です。

横浜正金銀行門司支店

旧横浜正金銀行 門司支店

こちらは旧横浜正金銀行 門司支店(現在は北九州銀行門司支店)

戦前、国内における貿易金融や為替業務で中心的な役割を担った横浜正金銀行がこの場所にあるということは、門司が外国への玄関として賑わった証左でもあるでしょう。

門司港水景

 

海賊の生涯に触れる

海から少し離れたところまでやってきました。

出光美術館

出光美術館

この地にあるかというと石油精製などで有名な出光興産の創業の地がここ門司であったからです。

創業者の出光 佐三は福岡県 宗像出身。
1911年、筑豊炭田の後背地に持ち、八幡に官営製鉄所が建てられ中国大陸の玄関口であった門司の今後の発展を睨み、この地で創業します。

関門海峡で操業する漁船への燃料販売で名を挙げた出光氏。当時の活躍ぶりから海賊と呼ばれるように。そして、当初の狙いが現実になるのは1916年。中国大陸の大連の支店開業、さらにそれを足掛けに同社の油が南満州鉄道の車軸油に採用されたことで、出光の地位は確固たるものになっていきます。

展示の中には出光の新入社員が鑑賞させられるという噂の社史映画の放映もあったのですが、出演陣が豪華なこと。素晴らしい出来でありました。それはぜひ訪問してご確認ください。

主に美術品が展示されていますが、コンパクトながらしっかりと社史を知ることもできます。

昨今紙幣への採用で渋沢栄一が注目されていますが、出光佐三も彼同様、消費者第一を掲げ、公益を尊重する資本主義を体現した優れた経営者でした。

と、そんな展示を眺めていると、「出光っていい会社だなぁ」となるわけですが、幼い頃は歯磨きで変身するウルトラマンゼアスの印象で、とにかくふざけた会社なんだと思っておりました笑
ただ、十数年の時を経ると、その感情のギャップもあってより親近感を抱けたような気もします。

すべて出光の思惑通り

 

給油する時は出光のガソリンスタンドを探すことにしましょう。

 

港町 門司の歴史

門司銀天街

栄町銀天街

出光美術館を後にして、観光エリアを離れ趣のあるアーケード銀天街

ネーミングやこの景色。そそられる人も多いはず。
旅先の商店街はシャッター街が多いのですが、この銀天街は地元の方の消費を今なお支えているようでした。

中華 萬龍

中華 萬龍

そのアーケードを抜け、凝った造りの中華屋さんのあたりまで来ると見えてくるのが

三宜楼坂

坂の上に上背のある木造建築が見える

こちらが門司港駅に続く本日第二の主役でございました。

つづく

さながら天守閣 高級料亭 三宜楼と条約の地 下関 春帆楼を見る-中国地方縦横断part7/7
前回はこちら 門司を見守り続けた高級料亭 2019年8月、門司港の高級料亭 三宜楼(さんきろう)跡にやってまいりました。 1931年(昭和6年)の新築以降、大戦を前に門司の社交場として大いに賑わった料亭でした。ただ、戦後...

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