突然ではありますが、廃線やらダムに沈んだ集落やら炭鉱跡やら。失われた人の営みを感じられる場所を好んで訪れる人がいて、私もまたその一人なわけですが、そうした対象を目にした時の形容しがたい虚しさ、恐怖を何と呼べばいいのかと、悩む今日この頃です。
ただ、人は名前を付けないとその事象を考察することが難しい生き物だそうです。
そんなわけで名付けました、哀愁と畏怖を掛け合わせ、
愁哀怖(しゅーあいふ)
というわけで←
完成直前の八ッ場ダムでそんな感情に向き合ってまいりましたので、お伝えしたいと思います。日帰りの列車+レンタカーの弾丸旅行であります。ではどうぞ
はじまりは高崎駅から
始まりは7時前の高崎駅
冷たい空気が耳と顔面に突き刺さる中、温もりあふれるスペースを発見。JR東日本管内では珍しくなった尖った駅そば屋さんであります。
その名も第5売店
強きものは多くを語らず。
DBの人造人間のような無機質な威厳があります。開店前だったためお味を知ることはできず、宿題となりました。
さて、高崎駅からはレンタカーを利用し、一路吾妻路を行きます。
旅のお供は久米宏ラジオなんですけど。アンテナの高さにいつも驚かされる番組です。ただ、それゆえか、たまに雷も落ちるようですが笑
そんな道中に見つけたのがこちら
幕府のキレ者
幕臣として、幕末期に近代化に貢献した小栗 忠順の寺を名乗る場所を発見
彼は教科書にこそ出てきませんが、横須賀の造船所の礎を築くなどして、日本の近代化に多大な貢献をした人物で、同時期の産業遺産を見学すると名前を見かけることも多いです。はて、どうしてこんなところで。
調べてみると、切れ者として飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍していた小栗さんでしたが、鳥を落としすぎるあまり目を付けられ、この地で隠居の身となります。
小栗さんはこの東禅寺に住み着いて、若者たちの教育に勤しみ、静かな生活を送っていたということですが、最終的には、罪のないまま官軍に捕縛、処刑されるという悲しい結末を迎えてしまったということ。
幕末の優秀な人材は得てして悲しい結末を向かることが多いですねぇ。
榛名山の麓、車でないと行きにくい場所であります。
東善寺を後にし、車で国道をひた走ります。1時間ほど走らせいよいよ八ッ場ダムエリアへと入っていきます。
切り立った岩櫃山(いわびつやま)を横目にしながら。。
吾妻線の旧線を見学
吾妻線の廃線跡をウォッチング!
2014年でしたかね。吾妻川沿いを走る吾妻線の岩島~川原湯温泉~長野原草津口駅間が水没予定地域を避けるべく付け替えとなりました。その旧線がこちら。
関東エリアのJRの廃線は碓氷峠以来ではないでしょうか。
あちらが本線だったとはいえ、こちらも特急列車が走る準本線とも呼べる路線でした。この草津温泉に行くときにこの旧線を通ったことがあるという人もいるのではないでしょうか。
すでに路盤は撤去され、高台エリアへ向かう国道が整備されています。
奥に見えるコンクリート橋が新線です。吾妻川沿いの渓谷を縫うように走っていた旧線に対し、新線はトンネルで高台エリアへと一気に駆け上がります。
写真の位置はこのあたり
少し進んでみましょう
今にも列車が通りそうな踏切跡
しっかり立入は禁止されています。
少し草津方へ移動。廃線間もないため、生々しい線路が残っております。
ただ、架線だけ宙ぶらりんで残されている状況。珍しいのでパシャリ
ニューあがつま線
一方、廃線跡を追う中で新しい構造物にも出くわすことに。
およ?
どうやらこの旧線、トロッコに転用されるようです。
知らんかったです。ここは駅になるのでしょうか。
(と、2019年の執筆時に書いておったのですが、現在は吾妻峡レールバイク アガッタンという自転車型トロッコの体験施設となったようです。週末は好況で予約せねば乗車は難しいとか!良い活用方法を見つけましたね)
渋川・高崎方面を少し高い位置から。現役と言われてもやはり違和感ありません。
ここにも駅と思われる工事中の箇所が!
ホームと駅舎?でしょうか。近くに行ってみますよ。
道路脇から工事個所へは砂利道が続いております。ここが駅へ向かう道になるんでしょうかね。
(こちらも現在はアガッタンの雁ヶ沢駅になっている箇所。トロッコはここからダムの麓 吾妻峡八ッ場駅までを約15分で結ぶコースとなっているようです。)
駅から渋川・高崎方面を眺めます。ちなみにトロッコは自転車型のもののようですね。
もうちょっと先に進んでみましょう
謎にJRマークの入った橋梁を越えて
さらに進むと・・・
おっと!通行止め
旧線と並行していた道路はここまで。いよいよダムのすぐそばまで来たということでしょう。
気持ちよさそうに眠っております笑
鮮度のいい廃線跡を見て興奮気味の私。
こんな変な看板も不思議とかわいらしく思えてきます。てか首の角度
つづく
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