2024年9月下旬、残暑が厳しい1日でした。
早朝からの和田岬線巡りで疲れ果て、たどり着いたは山陽本線 兵庫駅。そこで本駅がまとった港町神戸と鉄道草創期のにおいにすっかり元気となってしまったわけですが、今回はその魅力についてご紹介できればと思います。
まず概要から。世の中的にはJR神戸線・和田岬線が乗り入れる都会の乗換駅で、長大な列車たちが頻繁に往来していくのがなんとも賑やかです。その歴史は古く1888年(明治21年)に開業。1930年(昭和5年)には駅が高架化され、その際に改築された駅舎が現在も活躍中です。
モダニズム
そもそも私は港町というのは独特の雰囲気が好きでして、洋館やレンガ建築などよそ向きのきれいな顔を持ちながら、港湾を支える汗と人情そして油の匂いをまとっているのが、いかにも人間らしいなと感じてしまいます。
そんな港町の玄関となっている駅舎を見ていきましょう。ロータリーにまで張り出した大きなひさしが印象的です。コンクリート製のシンプルな構造の駅舎ですが、ひさしが良いアクセントになっていて締まった顔だちになっていますよね。
ひさしは外見のみならず機能性にも優れています。荒天時でも安心して車の乗降、人の往来ができそうです。
そしてこの天井高。嬉しくなりますね。駅舎が完成した昭和のはじめ、日本家屋の平均的な天井高が約250cmであったことも踏まえるとかなり余裕を持った造りであることが伺えます。
機能美が光る兵庫駅、設計者は鉄道省の設計技師だった伊藤 滋です。
駅をはじめとする現在の鉄道施設の近代化に関して基礎を築いた人物でして、特にそれまでの駅舎が現在の空港のように乗車までの間、利用者を待合室や広間で滞留する装飾性の高い場所であったところを、都市の流動に溶け込むように乗客を次々に列車へと送り出すための場所として再定義していきます。
「停車場建築も単純と秩序と迅速の観念の上に設計されるべき」という彼の考えはその後の鉄道全盛期、さらに今日の通勤・通学といった鉄道需要を見越した先進的なものでありました。彼は御茶ノ水駅をはじめ多くの作品を残しています。
実際、兵庫駅にもその思想が存分に反映されているのではないでしょうか。歩行者の南北の往来を滑らかにしています。
ただ、滑らかすぎて自転車の乗り入れに少し困っているみたいですが笑
また伊藤氏の設計にはモダニズムが反映されています。
モダニズムとは20世紀前半に隆盛したある種の建築ムーブメントです。産業革命を背景に生まれた鉄、ガラス、コンクリートといった建材を用いて、従来の石材、煉瓦建築からの脱却と合理的な建築を追求していくわけです。そしてこの兵庫駅はそんな新時代の先駆けとなった駅舎だったと思われます。
モダニズムはその後、「やっぱ無味乾燥だしもうちょっと装飾性を求めてもいいんじゃない?」となって、次の流行に時代を譲るわけですが、こうしたシンプルな美しさというのはどこか心を掴まれるものがあります。
改札内にも入っていきましょうか。改札はこの1か所に集約されています。
列車のワンマン化、みどりの窓口の閉鎖など人員削減が厳しい今日においても、最小限の駅員さんで最大限の乗客を捌くことができる設計です。
当時のままの見た目かと思いますが珍しいですよね。合理的なデザインながら、ささやかながら装飾もあるのが印象的です。過渡期の建築だからでしょうか、また港町というのが外向きの顔とそこで
ちょっとした遊び心がおしゃれですね。
兵庫と神戸の関係性
兵庫駅の見どころの1つが中2階に独立して設けられた和田岬線乗り場ではないでしょうか。和田岬線は兵庫・和田岬間の1駅を結ぶ盲腸線で、工場地帯に設けられた和田岬駅へ朝夕の通勤客を運んでいきます。
面白いのはこの改札。和田岬駅が無人駅で改札が設けられていないため、手続き上兵庫駅のこの改札を通過するだけで和田岬駅から下車したことになります。つまり利用者は「和田岬駅で下車」して和田岬線に乗り込み、和田岬駅で下車するという、私含む界隈の人たちが喜びそうな経験ができるというわけです。
和田岬線沿線は川崎重工業、三菱重工業、デンソーテンといった工場・企業が密集しています。神戸港の港湾需要を支えているわけですが、違和感を覚える人もいるのではないでしょうか。
兵庫駅があるのは兵庫県神戸市兵庫区。兵庫駅の隣駅は神戸駅ですが、駅近くの港は神戸港です。兵庫と神戸、あんたらはどんな関係なんですか。
ざっくりな解釈ですが、兵庫と神戸はもともと隣町同士の地名でした。その中で明治の始まりごろまで栄えていたのが兵庫です。兵庫は古くは大輪田泊と呼ばれた港を有し以来港町として発展していました。江戸末期、諸外国に開国を迫られる中で兵庫は開港地の1つとなります。
しかし、既に発展している兵庫に大型船舶を受け入れる余裕や、外国人居留地を設ける土地の余裕がありませんでした。そこで隣町の神戸に白羽の矢が立ちます。1868年(明治元年)「兵庫港」の名称で神戸港が開港され、県庁の名称も「兵庫」とされます。以後「兵庫」の名の下で神戸の街が発展していき、1892年に神戸港が実際の兵庫港を飲み込む形で新たに神戸港として形成され、現在に至っているというわけです。
兵庫と神戸の関係に関する違和感は、① 県庁設置当時は一帯が「兵庫」だった、②その後街の発展で神戸そのもの名称が広く使われるようになった。こんなところでしょうか。本来の港を開港できなかった(したくなかった)、県名より市名の方が有名というややこしさは神奈川と横浜の関係にも共通していますね。
兵庫駅、それは建築を通じて昭和レトロに、そして駅名を通じて開国と近代化に触れられる奥深い駅でありました。
おしまい
アクセス
- 山陽新幹線 新神戸駅から電車で約15分
- 神戸空港から電車で約30分
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