日田祇園 集団顔見世 | 文化が結ばれる要衝で天領の歴史を目にする

九州

祭りじゃ

目覚めたのは齢33になってからのこと。どうも祭りが醸す非日常な雰囲気。何より、子どもは特別な1日に酔い、大人たちは思い出を思い起こし、理性を解き放つ。そして祭りが世代を超えて人々をまとめあげる。そんな空気感に触れたいと思っていたのでした。

鉄路で東京→日田へ。切符を見せた友人はドン引きしていた。

最近、わたしにも子どもができて、自身のこれまでや幼少期を振り返る時間が増えましたな。

今回は、九州北部のおへそ、大分県日田市が舞台。毎年7月末に開催される日田祇園へ行ってまいりました。華麗な山鉾に惹かれたのはもちろんですが、日田が歩んできた歴史を噛み締めたいというのが大きいですね。新幹線、久大本線と乗り継いで、一路日田を目指していきます。東京からおよそ7時間の旅路となります。

日田を訪れるのは、およそ20年ぶりです。感じるものもあるのか楽しみです。

 

商都 日田の街並み

日田駅前

日田駅舎。ななつぼしの運行開始に合わせてリニューアルされた。

久留米から1時間ばかり、13時過ぎに日田に到着です。この日の気温は37℃。日田は、筑後川の上流部、四方を山に囲まれた盆地に位置しているため、夏の暑さは厳しいです。盛夏の日差しが厳しく降り注ぎますが、南にやってきたのだな、夏なんだなと感じられて嬉しくなる天気であります。

日田駅前はこぎれいに整備されております。歴史がいつからか止まってしまった。。そんな地方都市の中心駅にありがちな雰囲気はありません。近年は、作者の故郷であることから、『進撃の巨人』とのコラボで頑張っております。

さて、昼も過ぎて空腹です。日田には名物が二つ、日田焼きそば日田チャンポンなるものがあると、耳にしておりました。事前に調べると駅前にある寶屋さんがよろしいとの評判。早速足を運んでいきます。

The 駅前大衆食堂という雰囲気。素晴らしいですね。

「かつては賑わったのだろうなぁ…」

地方にはそんな佇まいの駅前食堂が多い印象なのですが、寶屋さんはご覧の盛況ぶり。嬉しくなりますねぇ。
1934年(昭和9年)、日田駅の開業以来、この場所で往来する人々に温もりを提供されています。

寶屋の日田チャンポン

日田チャンポン 960円

名物日田チャンポンを頂きますが、納得の味でした。

野菜は麺に馴染む絶妙な触感を残しながら、魚介系とダシと肉の甘味を感じさせるスープが野菜をいっそう美味しく感じさせてくれます。後日、地元日田の醤油や伏流水、大分県佐伯さんのいり子を使った逸品だったと知りました。日田の魅力の「チャンポン」でもあったわけですね。

腹も満たされたので、夜まで小休止といたします。本日は三隈川沿いの亀山亭ホテルさんのお世話になります。宿を選んだ理由はただ一つ、

亀山亭ホテルから眺める三隈川

客室からの三隈川の眺め

この眺めを満喫するためです。絶景です。

水郷と呼ばれる日田は、四方の山々から川が集う場所。水・森林資源に恵まれた要衝で、江戸時代には幕府の天領として繁栄を極めました。写真の三隈川(下流部は筑後川と名前を変える)もその繁栄を支えた交易路の一つ。全国各地から物資や人が集う中で、日田は独自の商人文化を紡いで今日に至っています。先ほどのチャンポンもその歴史の中に位置づけると、そうした良いものを取り入れていく「日田らしさ」を感じられてくるのであります。

夕刻になりました。ここから本章、日田祇園の集団顔見世に向かいます。

日田市隈町の街並み

隈町の街並み

日田らしさは街並みからも感じることできます。今なお商都的な雰囲気が残るのは、この隈・竹田地区と、駅の名反対側にある豆田地区。有名観光地の豆田地区に比して、隈・竹田地区は地元の方の生活も感じられる落ち着いた空気があります。

歴史を遡れば、日隈城の城下町として整備され、その後、三隈川沿いに材木商が集まる商人町として栄えてきたのだそう。現在は三隈川沿いに日田温泉街があり、この時期は祇園や鵜飼いなどで賑わいます。

かような歩が進んでしまう街並みにも目を向けながら、駅前へ向かいます。

豪華絢爛な山鉾

駅前通りにやってきました。時間は18時。集団顔見世がはじまる30分前で、「準備万端!」そんな皆さんの高まりが感じられます。

日田祇園は日田を代表する夏のお祭りで、9基の山鉾が市内各地を余韻を持った独特な音色の祇園囃子に包れながら巡行し、地域の無病息災を願います。今回はその前夜祭のような集団顔見世を拝見します。各地区全ての山鉾を目にできるのはこの日だけ。9基の山鉾が日田駅前で一堂に会する催しです。各町内は山鉾や曳き回しの技を見せ合って高め合うんだそう。

日田祇園の歴史を遡ると、1700年ごろ京都の祇園祭が各地に伝播する中で、室町時代に日田に入ってきたが起源なんだそう。日田が天領となって、全国各地から人々が往来し、繁栄を迎えるそんな時期と重なっていきます。

各地区の人々は腕を競うように豪華絢爛な山鉾を作り、文化・文政期にはその高さが15mに達したものもあるのだろか。見てのとおり、山鉾の高さは今なお見どころの一つです。

日田祇園集団顔見世の会場となる駅前ロータリー

その時に向けて、ロータリーは期待に溢れていた

18時半、顔見世がはじまりました。各町内の山鉾が1基ずつ入場していきます。
入場に際しては、山鉾の方向転換が必要です。男衆たちは、からだを密着させて山鉾の先頭部分の棒鼻を背負い、「オイサーオイサー!」の掛け声と共に、山鉾を転回させる力技を披露します。会場からは自然と合いの手が入り、歓声が響きます。

こうした男衆の力強さは子どもたちにとって「大人への憧れ」を感じる瞬間で、日田の子どもたちは成長につれて、楽しい祭りの中に神事としての意味合いや伝統を感じ取りながら大人の世界へ踏み入っていくんだそうです。祇園によって、地域の各世代を繋がれているんですね。

そして、いよいよその時です。

明かりを灯して

日田祇園集団顔見世

おおおおおお!

19時半すぎ、山鉾振興会会長の合図と共に、山鉾の提灯が一斉に点灯。会場が歓声に包まれます。圧巻です。

日田祇園集団顔見世

日田祇園集団顔見世

日が暮れるに連れて、闇夜に浮かんでくる山鉾たち。点灯後、しばらくは自由見学の時間です。山鉾の近くで装飾を眺めたり、その高さを仰ぎみることができるのです。
祭客の皆さんも山鉾の写真を撮ったり、男衆との会話を楽しんだり、振る舞い酒を味わったりと各々の時間を過ごしておりました。

日田祇園集団顔見世

顔見世は20時20分をもって終了。夢のようなひと時はあっという間に過ぎてしまいました。

祭りのあとは静かな時間が。寂しさはあるものの、余韻を嚙み締めながら、会場を後にしました。

おまけ_翌日

日田祇園山鉾会館の山鉾

翌日、日田祇園山鉾会館へ向かうと、山鉾がお昼寝をしておりました。ひとつの大仕事を終えて、穏やかな雰囲気に見えますね。

日田、最後のごはんはこちら。連日の来店に店員さんも笑顔で出迎えてくれました笑 今日は五目麵をオーダーします。動物系のスープで、いわゆるちゃんぱんに近い味で、こちらも美味でありました。魚介系の日田チャンポンと是非食べ比べてみてください。

 

おしまい

アクセス/会場

  • JR久大本線 日田駅前
  • 大分自動車道 日田ICより車で10分

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