※2022年7月3日(日)撮影
群馬県の西南部に位置する桐生市。人口は11万5000人、県内5番目の規模でございます。
実際に行ってみた
北千住から特急リバティりょうもうに揺られ80分
群馬県、もしかしたら北関東随一の工業都市 太田にやって参りました。自動車のSUBARUの企業城下町。戦前は中島飛行機と呼ばれ、太田は軍事上も重要な役割を担う場所でした。
太田で数人の乗客が下車。伊勢崎線と別れ、桐生線へ列車は進みます。
車内は私のほか2名が乗るばかり。昼下がりの下り列車とはいえ乗車率は芳しくないようです。
相老駅(東武線・わたらせ線)
そして、太田から列車はさらに北西へ進み、20分ほどで相老駅に到着。広大な駅が解放感があります。
わたらせ渓谷鉄道が駅を管理し、両線は跨線橋で自由に行き来できるようになっております。ここで同線に乗り換え、桐生駅を目指していきます。
都会的な東武線と渡良瀬川と共に山に分け入ってゆくわたらせ渓谷線が同じ場所に並んでいるのが、なんとも不思議な光景です。ちなみにわたらせ線が行き着く場所は、
足尾の山の中。この相老からさらに80分。都内からは3時間以上かかる関東の最果てです。
さて話は相老に戻りまして、
建設は、わたらせ線が1911(明治44)年、東武線が1913(大正2)年。110年近くとなかなかの歴史を持っています。
乗り継ぎを考慮して数分後に列車が来るようダイヤが練られておりますが、この日は倒木により遅延中。山間を行く同線らしく変に関心してしまうのでした。
しばらく空を眺めていると、遠くからタタン、タタンと軽快な音が響いてまいりました。
また、相老からも中高生のグループが5名程乗車、桐生の街へ繰り出していくんですかね。
相老のお隣、下新田駅の先で同線はJR両毛線 小山方面の線路と合流。レールを共にし終点 桐生へ向かいます。
桐生駅(JR・わたらせ線)
相老から数分で桐生駅に到着。
わたらせ渓谷線の前身、国鉄足尾線が駅の高架時には存在していたため、改札を経ることなくJRに乗り換えることができます。
風情はないですが、拠点駅らしい立派な構えをしていますね。両毛線の主要駅はどこも高架化されている印象です。
北口側に、商店街や遊園地等の行楽施設、南側に市役所等の官公庁街が広がっています。
今回は北側を散策。まずは、桐生駅そばにある上毛電鉄のターミナル 西桐生駅を目指します。
その道中、気になる物件を発見
使われていないが旅館のようですね。雰囲気も残っています。
初めて見ましたねこの看板。
国鉄 桐生駅近くで、西桐生駅にも便利な立地です。国鉄のお墨付きをもらって経営していた旅館のようですね。当時は今のビジネスホテルの感覚で利用されていたんでしょう。
とはいえそれは35年以上前、鉄道が移動の主要手段だった時の話
この規模で客が来なくなった今、
部屋や食堂、大浴場がどうなっているのか、増築費用は賄えたのか、そもそも名前は・・・
と、想像が膨らむばかりですが、ネットにも答えどころかこの宿の詳細も出ておりませんでした。閉業してからかなりの時間が経っているのでしょう。
西桐生駅(上毛電鉄)
西桐生駅にやってきました。JR桐生駅から歩いて5分ほどの場所。
こじんまりながらモダンでかわいい駅舎が迎えてくれます。同線は、この西桐生駅から西へ伸び、県庁のある中央前橋駅とを結ぶ全長22km、
南部の伊勢崎を経由するJR両毛線に比し、両地区を短絡しています。
当時養蚕で賑わった赤城山の南麓地域の足として、地元の有志が中心となり1928(昭和3)年に開通となりました。
この西桐生駅の完成で、桐生市内には4路線が乗り入れる充実の交通網が完成します。
では、肝心のこれほど充実した理由ですが、ずばり
産業です。
上毛電鉄の建設経緯でも触れたように、絹糸、ひいては「東の桐生、西の西陣」と称される絹織物の産地であったことが挙げられます。
桐生は奈良時代より、絹織物で知られており、原料となる絹糸の産地を後背地としつつ、渡良瀬川や日光例幣使街道など交通網にも恵まれ、生産品が各地へ運ばれました。
商業的交流が人々に富をもたらします。
また、維新後から戦前にかけて、主要な輸出品として国産繊維は海外に向けて販売されていました。
「国の繁栄の力になるんだ」と、仕事に誇りを持つ方も多かったでしょう。
こうして桐生は大いに賑わい、戦後まもなくには群馬県内で最大の人口を誇るエリアにもなったのでした。
勢いに溢れた場所に投資が進むのは当然です。
従来の移動手段だった川や道に代わり、鉄道が敷かれたのは当時の需要はもとより、街のさらなる発展を願ってのことでもあったのでしょう。
意匠が凝らされた駅舎にもそんな想いが込められていたのではないでしょうか。
では、中に入ってみましょう。
懐かしい顔が見えますねぇ。停車しているのは1962~2011年まで京王井の頭線で使われていた700型電車。
性能や使い勝手が良かったのか本路線以外にも、北陸鉄道や伊予鉄道など全国のローカル私鉄へ譲渡されています。
同社では自転車と一緒に車両に乗り込めるサイクルトレインという取り組みを実施中。
平日朝の一部時間帯以外は、無料で利用することができます。また、利用者に限りレンタサイクルも行っているなど、利用者の使いやすさを考えてくれています。次に来るときは利用してみたいですね。
同様の取り組みは、西武多摩川線でも行われています。
ただ、こうした取り組みがされるのは、残念ながら同路線が利用者の減少に直面しているからだったりします。
殷賑を極めた桐生の繊維業界でありましたが、戦後、化学繊維や国外製の廉価品が台頭し始めるとその勢いは顕著に失われていきました。1975(昭和50)年以降、市の人口も減少に転じ、現在に至っています。
当初、地図を見て抱いた違和感は桐生が失ってきたものが生み出したものかもしれません。
とはいえ悩んでばかりいてもしょうがありません。
小腹が空いてきたので、駅前のお弁当屋さんで昼食を買うことにしましょう。
というのも、次から次へと地元の方が訪れる気になる店があったため。午後2時になるその時間でも、家族連れ、若い男性、親子と途切れずやってくるではありませんか。
駅前にベンチもあるので、弁当を購入しそこで頂くことにします。
なんだこれは・・・笑
山P、ハギ、坂本、ヤマゴン・・・
から・ちくの他は、何を意味するのか、そもそも何の意味もないのか。
メニューでたじろぐ私に、気さくに声をかけてくれるお店のマダム。店内からはスタッフ同士で冗談を言い合ったりと和気あいあいな雰囲気がもれ、こちらも楽しくなってまいりました。ナニコレ珍百景でも紹介された話題のお店なんだそう。
しろ(\380)大盛(\50)を注文することにしました。
ちくわ天2本、からあげ2コに甘辛もやしが載った豪華弁当。カロリー的にも大満足な量であります。
特に秘伝のたれ。薄めのかつおだしに近いでしょうか、それがもやしとホカホカのごはんに絡んで美味しいんです。
ごちそうさまでした。
新桐生駅(東武線)
最後にやって来たのが新桐生駅。桐生駅から2.5kmほど、市の南端部に所在しています。
街の中心に近いのは先述の桐生駅と西桐生駅ですが、都内へのアクセスはこの新桐生駅を使うのが便利です。相老駅同様、特急りょうもうの停車駅となっています。
駅は渡良瀬川の河成段丘上にあり、市街地とはまた違ったのどかな雰囲気の場所です。
ただこの撮影をしていると、どこからか暴走族のようなウゥンウゥンという排気音が聞こえてきました。これは新桐生駅近くにあるBOATRACE 桐生から届いたもの。ちょうどレースがも同地は日本最北端の競艇場で、桐生市のお隣のみどり市が運営しています。
帰りは行きとは別車両。1050円を支払い特急りょうもうに乗車。リバティよりも200円安い価格設定です。
一路、浅草を目指します。
帰りは行きよりも利用者が多く、とはいえ乗車率は30%ほど。
このような状況ですが、東武特急は両毛地域と都内を結ぶ貴重なルートなだけに、なんとか存続していってもらいたいところです。
今にも停まってしまいそうな速度で隅田川を渡ると終点 浅草。お疲れ様でした。
いや、限界すぎる。
以上、鉄道の街 桐生のご紹介でした。
時代が移り、人々の生活が変われども、そこにある鉄道は変わらず残り続けます。
鉄道が地域の反映を伝える”石碑”となるか、ヒトとカネを運ぶ地域の”血液”となるか。
鉄道と地域の運営の在り方は、今後も追っていきたいと思います。
つづく
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