板谷駅 | 36‰の急勾配を新幹線が駆ける旧スイッチバック駅【奥羽本線】

東北

板谷峠

碓氷峠瀬野八と共に、鉄道の難所として知られる区間です。今回はその名の由来ともなった山形県米沢市 板谷地区を探訪します。県境は本駅・旧赤岩駅間に存在するんですね。てっきり峠駅が福島県、山形県の境になっているものだと思っておりました。

今回の奥羽本線4連続スイッチバックの訪問は米沢側から入山し、大沢、峠と巡り、本駅が最後になります。(2023年(令和5年)8月撮影)

生活を感じる駅前

暮らしを感じる駅

板谷駅の印象を尋ねられたら、そのように答えるでしょう。駅前には酒屋さんと数件の家屋が並びます。旅ゆく人たちの安息を提供する。駅が街道の宿場町からその役目を譲り受けてきたことを感じることができます。板谷の集落の中心はこの道をさらに下っていたところにあり、板谷駅は街外れにポツンと添えるように設けられています。

板谷駅前

駅前商店など賑やかな雰囲気

駅前には線路に寄り添うように山形県道232号線が走っています。大沢駅でも登場した道路は、かつて米沢街道と呼ばれ、奥羽本線の建設前は福島・米沢間の大動脈として機能していました。その後、鉄道としては奥羽本線→山形新幹線、道路としては国道13号、東北中央自動車道へとその役割を譲り、現在に至るというわけです。

人影はあまりありませんが、車がポツポツと通り過ぎていくので大沢駅や峠駅に比べ、賑やかな感じがあります。

板谷駅の旧駅舎

旧板谷駅の駅舎

駅を見ていきましょう。大沢駅同様、駅舎が残されていて、過去の面影を探る筆者としては嬉しい限りです。現在は保線用の倉庫として使っているのでしょうか。

統計が残る2004年(平成16年)時点で、駅の一日の利用者数は16人でした。その後、20年近くでさらに減少しているのもあって、2023年(令和5年)以降、冬季は全列車が板谷駅を通過することになってしまいました。実際、今回の来訪時も利用者なのか同業の方なのか見かけたのはお一人のみ。冬季以外も正直厳しいことが伺え、正直いつ事実上の廃止となってもおかしくない状況に感じます。

板谷駅の入口

現在の駅の入口はこちらです。進んでいきましょう。
大沢駅、峠駅同様、現在のホームへ向かうためには旧線の上を歩いていく必要があります。一般の利用者にとっては不便なんでしょうが、趣味人としてはこれほど愉快なことはありません。駅の歴史を踏みしめていきます。

板谷駅の旧線跡

板谷駅の旧ホーム跡。2面3線で数本の側線を有していた。

板谷駅

反対、本線方面の眺め。スノーシェッダーの上には県道232号線が通っている。

板谷駅のスノーシェルター

スノーシェッダー内

シェッダーは手前と奥とで建材が異なり、旧ホーム側は木造のシェッダーとなっています。明治期以降、厳しい峠で鉄道の運行を守ってきた苦節の日々を今に伝えてくれているようです。

峠に這いつく新幹線

板谷駅の駅舎、ホームと跨線橋

板谷駅の現駅舎とホーム

現在のホームにやってきました。標高は548m。板谷峠の4連続スイッチバックでは、福島方面から2つ目の駅になります。
駅舎、ホーム、構内踏切が駅の入口に揃っていて、駅らしさを備えた印象です。シェッダー上部に設けられたまつげのようなフェンスが印象的ですが、線路上への落雪を防ぐ目的があるんですかね。いずれにせよ、様になる”顔だち”をしている板谷駅であります。

板谷駅から36パーミルの勾配を見る

左手は旧ホーム方面、右手が福島駅方面の本線

板谷駅のホーム

ホームは2面2線、勾配上に設けられている

板谷駅のホームと駅名標

素直に勾配を受け入れるホームと線路

峠の各駅の中でも最も見晴らしが良く、板谷峠の勾配を感覚的に味わうことができるのも板谷駅の魅力です。福島駅方面は36‰の急勾配、振り帰って米沢駅方面にも同様の勾配が続いていることが一目で分かります。またホームに立った時に覚える足元の不快感こそ勾配そのものです。

蒸気機関車は私たちのからだの感覚に近く、勾配の上に安心して立ち止まったり、長距離の坂道を移動したりするのも難しくありました。平坦な場所でそこで小休止のために設けられたのが板谷駅だったわけです。

板谷駅を通過するE3系つばさ

明治に敷かれたルートを新幹線が駆ける

板谷駅を通過する山形新幹線つばさ

至近距離で新幹線の通過を見られるのも面白い

そんな坂道ですが、最新の新幹線車両は悠然と駆けていきます。約150年に渡る鉄道技術の進歩を一気に体験できるのですから、こんな贅沢なことはありません。

見晴らしがよいため撮影地にも適しているのではないでしょうか。

産業の面影

最後に駅周辺をさらりと見ていきます。

板谷駅前にある殉職碑

駅前にある殉職碑

まずは駅前にある殉職碑です。戦後すぐに実施された板谷峠の電化工事で職務を全うされた霊を慰めています。事故が詳述されており、発起人の方も所属・役職の記載がありません。石碑は仕事仲間、あるいは板谷の人々によって建てられたものでしょうか。このような方の犠牲を払いながらも、1949年(昭和24年)、板谷峠の電化は完成。当時の地方の国鉄線内の中でも早期の電化だったのは、やはりこの峠が難所であったからでしょう。

板谷駅のスノーシェルター

板谷駅のスノーシェッダーを公道上から見る

板谷駅の鉄道防雪林

背後は鉄道防雪林

続いて県道232号線を米沢方面に進んだこちら。駅北側が山林になっているのですが、よく見ると鉄道防雪林とあり、JR東日本の所有地であることがわかります。風雪を和らげ、鉄道の運行を陰ながら支えてくれています。この山林もまた、峠の大動脈を守るための先人の工夫だったんですね。

ジークライト株式会社 本社と板谷鉱山

ジークライト株式会社 本社

最後は、こちら。福島への帰り道、板谷の集落で思わぬ鉱山が目に入ってきました。ジークライト株式会社といい、ゼオライトと呼ばれる鉱石を採掘、加工するオリックスグループの企業のようです。ゼオライトは土壌・水質改良や家畜の飼料などに使われる、石灰のようなものでしょうか。詳しい方にこの辺の情報は譲りたく思いますが、1984年(昭和59年)までは板谷駅からジークライト社の敷地内に引込線が引かれて、貨物輸送も行われていました。かような過酷な峠道においても、かつては貨物列車が運行されていたとは驚きです。

敷地の規模は周辺随一。おそらく板谷駅前に生活のにおいを感じたのは、こうした産業が今なお残されていて、板谷の暮らしを支えてくれているからなのではないでしょうか。随所に先人たちの知恵、営みを感じることのできる板谷駅でありました。

ということで今回はここまで。各駅が個性に溢れる板谷峠のスイッチバック駅たち、訪問はできるうちに!

アクセス

  • 車:米沢から国道で約30分、福島から約45分

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