※2022年7月2日(土)撮影
都心から90分
例年になく早めに梅雨明けとなった2022年
刺さるような日差しの中、東武電車に揺られ栃木県栃木市へ出かけてまいりました。
出かけるまでは空調の効いた自宅でダラつき、
「こんな休日もありだよ」
という悪魔の囁きもありましたが、気づけば栃木駅前に降り立っていたのでありました。
山本 有三は、戦前から戦後に活躍した小説家・政治家です。
同市の出身で、著書『路傍の石』は、存在感の無い人を指す言葉としても、広く知られております。
駅前通りを北進すると栃木銀行と、
長谷川枕山堂(「ちんざんどう」と読むそうな)
こちらは、なんと現役のハンコ屋さん兼古本屋さん。詳しくはこちらに。
検索トップに出てくる同店の名を冠したブログなのですが、会社紹介というより店主さんのご趣味の発信の場になっており、摩訶不思議。栃木の街、なんか面白そうだぞ。
ここで大通りを左に折れ、路地を進んでみます。
思えばこの20年ほどで見かけなくなった光景です。
まずは、ミツワ
蔵と水路の街並みが目的の今回の旅でしたが、さっそく思わぬ出会い。
「歌麿」というのも、場末のスナックを感じさせます。大好物です。
総合食品とは、今でいうコンビニのような存在なのでしょうか。
歓楽街だったのか。
往年は、この名前に恐怖した若手社員もいたでしょう・・・
とはいえ更地も点在しており、この流れは止まらないのでしょうか・・・
各地で老年期の商店街を見てきたが、スナック、電気店、床屋の生存率が高い印象がある。
食品、玩具店などは大型点に代替されやすいのでしょう。
栃木の母、巴波川
蔵の街の生みの親ともいえる巴波川
栃木市内に水源を持ち、渡良瀬川、利根川を経て、千葉県銚子で太平洋に注いでいる。
栃木の町並みはこの巴波川に寄り添うように広がっています。
トラック、鉄道が整う前は、舟が移動手段の中心でした。栃木は、この巴波川により、ヒト・モトの一大集積地として発展してきました。
店内が資料館として無料開放されていましたので、お邪魔してみます。
維新後まもなく県名ともなった日光で先代が創業され、その後に栃木へ県庁が移転となるのに合わせて移転をなさったのだそう。まさに「栃木県」と共に歩んできた写真館。
後ほど紹介する市役所前の蔵の街大通りを映したものもあり、散策前に訪れると街並みの変化を楽しめるかもしれません。貴重な資料をありがとうございます。
人が心地よく歩ける道幅という感じ。品川付近の旧東海道と似ていますね。
いざとなれば運転できるけど、すれ違いが大変だからあえてルートには選ばない。車通りは少なく、散策がしやすい。車と人間を共存させるのにちょうどよい幅な気がします。
みつわ横丁歌麿通りからミツワ通り共栄会へ
こういった看板が見られるのも、そう長くはないのかもしれません。
角では床屋さんが営業中。さすがです。
こ洒落た喫茶店さんもがんばっております。
!!!
思わぬ名建築との出会い。これだから街歩きはやめられません。
明治年間創業という玉川の湯さん。浴場内の水槽に金魚が泳いでいるようで、
このとおり、年季とかわいさを兼ね備えた素敵な銭湯となっています。
都内以外で昔ながらのこうした銭湯は珍しいですね。
涼し気な色遣いが京のような真夏日には嬉しいかぎりですが、熱湯を供することで評判みたいです笑
そして、蔵の街へ
ミツワ通り共栄会を抜けると、市内を横断する皆川街道 銀座通りと合流。
都会的な雰囲気になってきましたね。
道路右手の黒壁の見世蔵は雅秀店舗
非公開建築だが有形文化財に指定されています。
いよいよ、蔵の街らしい雰囲気になってきました。
こちらを正面に左手を眺めると、
おおお!これぞ蔵の街
右手(北側)はかような感じ。
舟運が栄えた当時の光景と比べ、こちらは近代化後の姿という感じ。
雰囲気に劣るという評価もあるかもしれませんが、時代による変遷を一度に楽しめるのは個人的にとてもgood。
テンションが上がったところで、さらに北進してゆきます。
つづく
コメント