高輪ゲートウェイエリアの開発、リニア開業予定と、今後大きな変化が品川エリア
今回は、その中でひっそりと進められているもう一つのある計画にスポットを当てながら、東海道の宿場町 品川宿跡を辿り、大井町まで歩きます。
行っとけダイヤ
そもそもさっそく答え合わせになりますが笑
今回の来訪のきっかけとなった計画というのがこちら。本年4月より開始となった京浜急行の泉岳寺・新馬場間の立体交差化工事です。
これにより、京急品川駅が地上化され、港南口・高輪口間の移動が容易になります。また、北品川駅の前後が高架化されることで、3か所ある踏切が解消されることに。
利用者にとって、利便性が増す本工事ですが、街歩きマンとしては、京急線内でも特に京急らしい風景ともいえるであろう
車輪を軋ませ、車両をうねらせるこの八ツ山橋付近の眺めが失われてしまうことがショックだったりするのです。
というわけで、そのあたりの記録を残すべく、同橋付近の観察と、そこから南方に延びる旧東海道を散策してまいりました。
品川駅 高輪口の再開発
立派な連絡通路のある品川駅からスタートです。コロナ禍でも、ご覧のとおり
「勤勉に」出勤するサラーリマンの撮影地としても有名なこちら
写真は、高輪口の方面を写していますが、写真中央部あたりで、高架線を走る京急線をくぐるために、階段で地上部へと降りていきます。そして、さらに進むと、駅前で、横断する国道15号線にぶつかります。
実は、この構造が、現在、駅から国道1号線を越えたエリアへの移動の障害となっているんです。この障害を取り除くのが本工事の1つの目的。たしかに高輪口って、お店の少なさもありますが、どうもとっつきにくい印象はあります。食事場所を探すにしても、反対の港南口に向かってしまいますからね。
京急線の地上化によって、上記の連絡通路を高輪口、さらに国道15号線を跨ぐように新設されるペデストリアンデッキまで延長することが可能となり、負担の無い東西移動を実現されます。これはありがたい。
そうなると、品川駅界隈の風景は、新しい人の流れによって、大きく変わることになるでしょう。しばらくは再開発の動きから目が離せません。
追記 2022.7の高輪口の様子
一方、東口の港南口は?
先述のとおり、伸びしろ溢れる高輪口に比べ、反対側、港南口は高層ビルが林立。対照的な風景が広がっております。なぜこのようなことになっているかと言えば、港南口の歴史が比較的浅いからなんですね。
こちらは現在の航空写真。周辺に比べても、建物の背の高さが際立っています。では、このビルが建つ前に何があったかと言えば・・・1990年前後の航空写真を見てるみると
広大な車両基地が!
かつて、品川駅の東側には、東海道新幹線の品川車両基地などがありました。ただ、1992年にさらに南方にある大井車両基地にその機能が移転され、空き地となります。人がひしめき合う東京において、広大な更地ほど珍しいものはありません。すぐさま不動産ディベロッパーによる開発が行われ、現在の摩天楼が築かれたのでありました。
ただ、品川駅東側だからと言っても、車両基地跡地の周辺には、歴史を感じさせる建物もあるわけでして
都営北品川アパートは、1966年竣工。高さでは敵いませんが、港南口のビル群に負けじ劣らずの存在感を放っています。視界を遮る壁の如きな佇まいは、都営広尾5丁目アパートを彷彿とさせます。さらによく見ると
都バスの車庫になっとる笑
地下鉄の都営三田線でも車庫の上にも都営住宅があったりしますので、「二階建て物件」は、東京都の得意分野なんでしょうか笑 こちらは、1階部分に都バスの品川営業所が入っています。
八ツ山橋
やって参りました。今回の目的の場所、京急線八ツ山橋です。京急線が、品川駅の西側から、JR線や新幹線を跨ぎ、旧東海道に寄り添っていく場所で、歴史は古く、駆けられたのは1932年とのこと。縫うように線路が敷かれておりまして、敷設時の苦労と「それでもこの場所を走らせるんだっ!」という京急の強い意志を感じさせます。
品川駅の南方、さらには京急線にとっても象徴的な眺めであり、そしてまた、電車好きの子どもたちにとっても嬉しい場所です。というのも、京急の自社車両以外にも、
都営、京成、北総線、そして成田スカイアクセス線
多種多様な車両が、高頻度で行き交うため。お子さんとのお出かけにはもってこいの場所ではないでしょうか。ちなみに、下の動画を参考にいただけると、その目まぐるしいさまがお分かりいただけるかと思います。
また、橋を渡る車両があれば、くぐる車両も次から次へとやってきます。山手線、京浜東北線、東海道線、横須賀線、そして東海道新幹線・・・さながら鉄道のスクランブル交差点
さらにさらに、
羽田空港へ着陸する旅客機まで!
羽田空港に着陸する飛行機風向き次第とは思いますが、視界が賑やかなのは間違いありません。陸上でも空中でも、品川が、交通の要衝であることを改めて実感したのでありました。
こちらは京急の八ツ山橋と並行になるように掛けられている東海道八ツ山橋。橋としては、
「鉄道が新橋・横浜間に初めて敷設された1872年からある日本初の跨線橋だ!」
という噂もあるようですが、真相は定かではありません。
構造物としての橋は、比較的新しく1985年に架けられたのだとか。また、最初の架橋から何度も架け替えが行われているらしく、写真の石柱は、1913年に架けられた二代目、背の高い鉄柱は1930年からの三代目の意匠なんですと
旧東海道をたどる
鉄道の話題はこのあたりにして、続いて街道の話へ移りましょうか。
現在、車で東海道を行こうとするのであれば、国道15号線を南下することになります。では、かつての東海道はどこへ行ってしまったのかと言えば、宿場町が商店街となり、現在も地域の生活に根付いています。その名も北品川商店街
八ツ山橋付近で、国道15号線から分岐する旧東海道上にある商店街、そちらを南下していくことにしましょう。
早速目に入ったのは、星野金物店さん。意匠が凝らされた外見ですが、金物屋さん自体懐かしい存在になりつつありますね。
軒を連ねる他の物件と比べても、存在感が際立っています。続いては
およ?
更地に佇む謎のニンジン型モニュメント(仮称)とごみ箱・・・
てっぺんは植栽されてますけど、お手入れどうするんでしょうか。緑の中から顔を出している、鍵盤ハーモニカのホースのようなものまで。
鍵盤ハーモニカって特殊な楽器ですよね←突然
ホースは洗わないといけないし、そもそも学校でしか見かける機会がありません。汎用性に乏しいあの楽器が授業に採用されているのは何でなのでしょう・・・謎は深まるばかり
旧東海道沿いはもちろんですが、一歩、道を逸れてみると、これまた素敵な路地があったりして、散歩を楽しいものにしてくれます。こちらの時宗 善福寺もそんな路地の行き止まりに建っていた寺院
つい先ほどまで、高層ビル群を見ていたものですから、木造建築に目が喜んでしまいます。
かと思えば、本堂はコンクリート造り?のトタン屋根。ちぐはぐな感じも良いですが、なにより劣化が進んだことによる退廃的なダーティな雰囲気が独特です。本堂のすぐ裏手を、高速運転がお得意の京急線が駆けてゆきます。
参道脇には、まさに自然に帰らんとする倉庫?廃屋?が。善福寺の関連していたのでしょうか
路地を戻り、再び旧東海道を行きます。
ふぁ!?
北品川、いや品川区で最も目立つお店かもしれませんぞ。着ぐるみ制作会社のアトリエパレットさんです。愛媛県の公式キャラクターみきゃんちゃんもいますねぇ。
公式HPによれば、着ぐるみの製法は、代表の方が独自に生み出したオリジナルなもので、これまで33年間で9,000体を生み出してきたのだとか。着ぐるみの完成度からその腕のすごさが伺いしれます。
何体も作ることはなく、どうしても職人さんの手作り 受注生産となってしまうのでしょうが、まさかこんな商店街の一角でそんな職人芸が行われているとは。
と、通好みのスポットばかり紹介してきましたが、もちろんオシャレなカフェもあったりするので、ご安心を。
まち探検だけでなく、休日のおさんぽも楽しめるでしょう。https://tabelog.com/tokyo/A1314/A131405/13187934/
下駄や草履を扱う丸屋履物店さん。撮影時は、その外観に目を奪われ、シャッターを切ったのですが、調べてみると、こちらも腕の良い職人さんがおり、セミオーダーの和装履物を作ってくれるんだそうです。Twitterで作品を覗かせていただきましたが、どれも美しいデザイン。
「懐に余裕ができたら、和装にも手を出してみようかしら」
そう思わせてくれる大人な履物がたくさんありました。
青空が美しい日でした。興味深い街並みも相まって、お散歩の足取りも軽くなります。
それはそれで怖い
まるで街路灯にも意志があるような表現笑
この北品川、宿場町としての歴史ばかり注目が行く場所ですが、どうも要所要所で独特のユルさを感じずにはいられません。長い歴史に裏打ちされた余裕でしょうか笑
商店街の魅力は、個性豊かな各店舗での買い物であったり、お店の方との会話であったりするんでしょうけど、肩の力を抜いて過ごすことができるのも、大型店舗にない強みかもしれません。南下を続け、目黒川に架かる新品川橋までやってきました。
場所はこの辺り。かつての品川宿は、京急線の青物横丁付近まで延びており、ちょうど南北の中間地点にあるのがこの地点。そもそも
南にあるのに北品川
新馬場から大井町へ
地上機器は、電気を高圧から低圧に変換したり、電気の流れを変えるために必要な機器です。電線を地中化する際は、これらの機器を、地上に設置する必要があります。
案内図が、他からの流用ならば仕方ないですが、それにしてもあの貼り方は横ちゃk・・・斬新ですね!笑
大井町まで歩こうと思ったのは、京浜東北線の車窓から気になっていたこれを見るため
諸説あるようですが、1914年竣工で、後に京浜東北線となる京浜線が、東京駅の開業に合わせて走り始めた際に設置されたのだとか。
ところで、レンガ建築って、それを飾るようにツタが壁面を覆っている印象がありますけど
煉瓦のあるところにツタが育つんですかね。それとも、ツタの生える場所が煉瓦建築に適しているんでしょうか。
素敵な佇まいの大井町の名店 丸八とんかつ店の支店を過ぎると間もなく
大井町到着!
今回はここまで。品川から大井町は。近すぎず遠すぎず、2時間程度あれば散策できるお手頃のコースでした。個人商店も多く、休日はぴったりではないでしょうか。歴史好きも、そうでない人も、ぜひ足を運んでみてください。
おしまい
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