本格運用前!干上がった八ッ場ダムへ~群馬探訪~Part2/3

街づくり

前回はこちら

吾妻線旧線を巡る~群馬探訪Part1/3~
突然ではありますが、廃線やらダムに沈んだ集落やら炭鉱跡やら。失われた人の営みを感じられる場所を好んで訪れる人がいて、私もまたその一人なわけですが、そうした対象を目にした時の形容しがたい虚しさ、恐怖を何と呼べばいいのかと、...

八ッ場ダムへ

八ッ場ダム

そしてやってきました八ッ場ダム

試験耐水ということで、数か月かけて水位を少しづつ上げていくはずが、猛威を振るった台風19号によってたった3日間で満水となり、首都圏を洪水から守ったと称賛されたのも記憶に新しいですね。

訪れた2019年12月14日はまさにその試験耐水の終わりかけ。水位を下げて、いよいよ本格運用に差し掛かるようなタイミングでした。

試験淡水中の八ッ場ダム

反対側はこのように。

一度は水に沈んだ山肌が再び顔を出しています。手前に見える橋梁の足元に、川原湯温泉の温泉街がありました。現在は移転し、橋梁左側で新たな歴史を歩んでおります。

八ッ場ダム

なぜそこに顔出し穴が・・・笑

顔を出してもただの変な人にしかなりませんねぇ

八ッ場ダム移転住宅群

水没エリアから移転してきたと思われる住宅群

この人工的に築かれた住宅街からどのように町が広がっていくのか、はたまた、しぼんでいくのか。治水利水能力だけでダムを語ることはできません。

八ッ場大橋

ダム湖の最下流部分にかかる八ッ場大橋

八ッ場ダム

沈んでいた部分が白色化しているのが印象的です。どういった反応でこうなるんでしょうか。

八ッ場ダム試験湛水

上流側。この水の下に400世帯近い人々が生活を営んでいました。

資料で見る八ッ場

やんば資料館

八ッ場大橋のたもとにあるのがなるほどやんば資料館。ご覧のとおり見た目はアレですが、

やんば資料館

八ッ場ダムを知ることのできる資料がたくさん

こういう模型は大好物

位置関係はご覧のとおり。かつて吾妻川沿いにあった集落がダム湖の両岸に移転しました。現地再建方式と呼ばれる方法で、かつてのコミュニティを壊さないよう既存の集落がそのまま高台に移転しています。

やんば資料館模型

とてつもなく広大なエリアが水没したことがお分かりいただけるでしょう

8,000億円近い費用、半世紀を超える時間、400世帯の人々の生活など、その影響の大きさなどを鑑みるとこの規模の公共事業は今後行われることはそうそうないでしょう。

水没したあれやこれ

川原湯温泉駅

川原湯温泉駅

川原湯温泉駅前

駅前はまだまだ整備段階。ただ、店舗等はなく、温泉街の風情は失われてしまっています。

川原湯温泉街並み

少し進むと街並みが。

駅の裏側に来てみるとこんな看板が。矢印の先にあるのか、矢印が回り道なのか・・・そして個人宅を記した看板ははじめましてです。

吾妻線と不動大橋

吾妻線の新線を走る211系とダム湖の中央部に架かる不動大橋。115系の巣窟だった吾妻線も変わりつつあります。

ダム湖に沈む川原湯温泉

今度は不動大橋から上流側を眺めてみます。右手に見える集落が先ほどの川原湯温泉駅周辺

かつては見られたいた風景

吾妻線の旧線はダム建設の石材などを運搬するベルトコンベヤーに転用されていたんですね。

ダム湖から現れた国道と吾妻線

高い位置を走るのが国道145号線。下は吾妻線の旧線

ダム湖に沈んだ吾妻線

違う角度から。俯瞰すると模型のように見えてきます

八ッ場ダム不動大橋

上流部分はこのように。二層になっている街並みが不思議な感覚です。

移転したな長野原東中学校

長野原町立東中学校

移転を機に新校舎になったのでしょう。地元はダムによる移転と引き換えに、国やダムの恩恵を受ける関東6都県からの支出で学校や道路の整備を行うことができます。ただ、オリンピックの開催に伴う資材不足等で、このような生活再建事業は遅れていて地元でも落胆の声が上がっているようです。

長年の軋轢を国と地元がひざを突き合わせることで乗り越え、八ッ場ダムは来年度の完成を控えているわけですが、どうもすっきりしない部分もまだ残っていることが分かりました。地元の方が、かつてのような生活を再び過ごせるようになると良いですね。

つづく

中之条六合赤岩-重要伝統的建造物群保存地区で養蚕と江戸の歴史に触れる
前回はこちら八ッ場ダムを後にし、前から訪れてみたかった太子駅跡に向かいます!が、その前に道路わきに突如現れた重 伝 建の文字。思わぬ出会いだったので、ちょっと寄り道することにしました。六合赤岩地区明治期以降、殖産興業の旗...

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