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八ッ場ダムへ
そしてやってきました八ッ場ダム
試験耐水ということで、数か月かけて水位を少しづつ上げていくはずが、猛威を振るった台風19号によってたった3日間で満水となり、首都圏を洪水から守ったと称賛されたのも記憶に新しいですね。
訪れた2019年12月14日はまさにその試験耐水の終わりかけ。水位を下げて、いよいよ本格運用に差し掛かるようなタイミングでした。
反対側はこのように。
一度は水に沈んだ山肌が再び顔を出しています。手前に見える橋梁の足元に、川原湯温泉の温泉街がありました。現在は移転し、橋梁左側で新たな歴史を歩んでおります。
なぜそこに顔出し穴が・・・笑
顔を出してもただの変な人にしかなりませんねぇ
水没エリアから移転してきたと思われる住宅群
この人工的に築かれた住宅街からどのように町が広がっていくのか、はたまた、しぼんでいくのか。治水利水能力だけでダムを語ることはできません。
ダム湖の最下流部分にかかる八ッ場大橋
沈んでいた部分が白色化しているのが印象的です。どういった反応でこうなるんでしょうか。
上流側。この水の下に400世帯近い人々が生活を営んでいました。
資料で見る八ッ場
八ッ場大橋のたもとにあるのがなるほどやんば資料館。ご覧のとおり見た目はアレですが、
八ッ場ダムを知ることのできる資料がたくさん
こういう模型は大好物
位置関係はご覧のとおり。かつて吾妻川沿いにあった集落がダム湖の両岸に移転しました。現地再建方式と呼ばれる方法で、かつてのコミュニティを壊さないよう既存の集落がそのまま高台に移転しています。
とてつもなく広大なエリアが水没したことがお分かりいただけるでしょう
8,000億円近い費用、半世紀を超える時間、400世帯の人々の生活など、その影響の大きさなどを鑑みるとこの規模の公共事業は今後行われることはそうそうないでしょう。
水没したあれやこれ
駅前はまだまだ整備段階。ただ、店舗等はなく、温泉街の風情は失われてしまっています。
少し進むと街並みが。
駅の裏側に来てみるとこんな看板が。矢印の先にあるのか、矢印が回り道なのか・・・そして個人宅を記した看板ははじめましてです。
吾妻線の新線を走る211系とダム湖の中央部に架かる不動大橋。115系の巣窟だった吾妻線も変わりつつあります。
今度は不動大橋から上流側を眺めてみます。右手に見える集落が先ほどの川原湯温泉駅周辺
かつては見られたいた風景
吾妻線の旧線はダム建設の石材などを運搬するベルトコンベヤーに転用されていたんですね。
高い位置を走るのが国道145号線。下は吾妻線の旧線。
違う角度から。俯瞰すると模型のように見えてきます
上流部分はこのように。二層になっている街並みが不思議な感覚です。
移転を機に新校舎になったのでしょう。地元はダムによる移転と引き換えに、国やダムの恩恵を受ける関東6都県からの支出で学校や道路の整備を行うことができます。ただ、オリンピックの開催に伴う資材不足等で、このような生活再建事業は遅れていて地元でも落胆の声が上がっているようです。
長年の軋轢を国と地元がひざを突き合わせることで乗り越え、八ッ場ダムは来年度の完成を控えているわけですが、どうもすっきりしない部分もまだ残っていることが分かりました。地元の方が、かつてのような生活を再び過ごせるようになると良いですね。
つづく
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