針尾送信所 | 帝国海軍が最果て佐世保に遺した三本の巨塔

九州

2022年5月21日(土)朝8時、大村線南風崎駅に続き、針尾送信所へ向かいます。
この日は雲一つない快晴。5月末とはいえ汗ばむ夏の陽気でございます。と、その前に寄り道をば。

ハウステンボスの隣に位置する在日米軍 針尾住宅地区です。私の到着に合わせるように合衆国国家が響いてまいりました。ありがとうございます。(8時の合図らしい)

在日米軍 針尾住宅地区

オランダとアメリカが長崎に。江戸時代の話か

佐世保基地で働く兵士やその家族が生活するための場所です。長崎県が確保していた工業団地用地を国?が取得し、いわゆる思いやり予算で整備しております。

いつの時代も長崎は異国の香りがする土地のようだ

そして今年8月、ハウステンボスを香港の投資会社であるPAGが666億円で取得。こうして、米中の施設が隣接することに。日本が置かれた国際状況を象徴する場所となってしまいました。さて、今後どうなることやら。

現存する戦前最大の建造物

ミカン畑にそびえる針尾送信所

ミカン畑が広がるのどかな場所にそれはある

寄り道を経て、やって参りました針尾送信所。改めて見ると異様な眺めです。さらに近づいていきますよ。

3号無線塔

3号無線塔。内部に入ることができる。

大きいものは格好良い。動物としての無意識と向き合う瞬間です。これが戦前の完成とな・・・

無料の駐車場がありますので、ここからは徒歩で散策していきます。

旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設

説明も嬉しくなるほど親切。無料の施設なのがさらに嬉しい。

針尾送信所は、1922(大正11)年の完成した旧海軍が長距離通信のために建設した電波塔です。140mに迫る高さで、戦前から現存する最大の建造物であり、現在でも長崎県で最も高い構造物となっています。

防衛省 市ヶ谷無線鉄塔

こちらは防衛省の市ヶ谷無線鉄塔。2000(平成12)年に完成するまで針尾送信所が軍事目的の無線塔としても最大の建造物だった。

市ヶ谷の無線鉄塔は現代の針尾送信所といえるでしょう。

1号無線塔

こちらは1号無線塔

写真手前の基礎は旧兵舎跡の基礎。こちらは戦後まもなく焼失してしまったとのことです。
一方、無線塔は戦後、米軍管理を経て海上保安庁と海上自衛隊が共同利用する施設となり、1997(平成9)年まで利用されたのだとか。比較的最近まで現役だったんですなぁ。

塔の中に入ってみた

3号無線塔

足元から

広角レンズで撮影しないと収まりません。なんとこの3号塔に限っては内部の見学が可能となっています。太っ腹。現在でも耐震性に問題はないとのことで大正期ながら日本の技術の高さが伺えます。

内部から外を眺める

心行くまで無線塔を楽しむため、ベンチが備えられています。

無線塔は中空の造り。鉄筋コンクリート製だそうだ。

無線塔内部

右手の棟上部に伸びる鉄骨は通信ケーブルの防振装置、左手はケーブルの張力を調整するウィンチという機械。界隈の方が垂涎の代物ではないでしょうか。

この日は暖かく、上部にある通気口に向けて風が吹き抜けていくのが印象的でした。一人ながら一人でいないような不思議な感覚です。

3号無線塔内部

塔を見上げてみる。

いい年しながら誰もいないことを良いことに、「ヤッホー」とこだまを楽しんだことはヒミツですよ。

無線塔の外にも面白いものがありますよ。立派なシイタケです。

針尾送信所 附・見張所

附・見張所

ほら、シイタケ。

しいたけは針尾瀬戸が見渡せる場所にある

実際は重要な軍事施設だった無線塔への不審者の侵入を見張った場所なのだそう。
戦前完成のコンクリート建築で細い柱持ちながら崩壊していない点が貴重なようで、国の重要文化財となっています。

針尾瀬戸

針尾瀬戸と新西海橋。このためにも訪れて良いような日本離れした眺めである。

新西海橋は、自動車で佐世保から長崎へ最短で向かう際には必ず通過する交通の要衝。同時に、橋の架かる針尾の瀬戸もまた、大村湾から唯一外海に出られる場所ながら非常に狭あいで、流れの早い海上交通の難所としても知られます。

釣り人の朝も早いのだと嬉しくなる

2号無線塔と兵舎跡

こちらは2号無線塔

続いて、この写真で2号無線塔方面にあるもう一つの廃墟内を探索しますよ。

旧佐世保無線電信室

針尾送信所電信室

電信室正面

3本の塔の中心に建つ電信室にやってきました。

無線塔が人間で言う聴覚であるとすると、この電信室は活動を司る脳や動力源となる胃袋というところでしょうか。建物内には発電機や機械室が設けられておりました。

無線塔が三角形の頂点に位置し、その中心部に電信室があるのがお分かりいただけるでしょうか。
針尾送信所電信室

旧正面入口

2階建てと地下1階を有する電信室。元々は地下構造はなかったようですが、先の大戦で空爆対策として1階部分の周囲を盛土した際に増設したのだそうです。とはいえ、大規模。

記録がなければ宗教施設かと思うような不思議な雰囲気があります。

針尾送信所電信室

ツタが美しい。一部コンクリートが剥離しているが綺麗な状態だ

では、こちらも内部を見学してみましょう。

電信室入口。地下部に位置し、内部見学はこちらからヘルメットを着用して向かう。

地元の佐世保市が崩落していた通路の補強を行ったことで、2020(令和2)年11月から見学が可能となりました。ありがたい。

とはいえ、ヘルメットの着用が必須となっていて自身の責任で入室していきます。

海上保安庁佐世保海上保安部通信所針尾送信所看板

内部には海上保安庁時代の看板が放置されていた

電信室の倉庫

バッテリー用の硫黄を保管していた倉庫

現在も鼻につく硫黄臭が残っていました。壁面の劣化は化学品によるものでしょうか。

そして、

針尾送信所電信室の機械室

こちらがメインの機械室。発電機が置かれていたという。

おおおおおお!

中学校の体育館ほどの広さ、天井にはクレーンが残されております。
見学施設ながら良い具合に手が入っておらず、廃墟探検の雰囲気をより強く感じることができます。

電信室内を見学した様子は以下の動画にもまとめております。

送信所の入口。門柱が残されている。

改めて通信塔を。飾り気のない塔なのですが、不思議と惹かれてしまうんですよねぇ。

大きさはもちろんですが、現在と断絶した戦前の軍事施設が、海と入り江に囲まれた日本の果てに建っている。非日常性ということにしておきます。言葉が見つかりませんので、ぜひ実際にご覧いただければと思います。

おまけ 針尾瀬戸から見る送信所

針尾瀬戸越しの通信所

瀬戸越しの送信所。3本が綺麗に並んで見られる。

NHKドラマ『17才の帝国』の舞台(AIソロン)ともなっております。

橋が架かる部分が大村湾が湾であるための出入口。ここが閉じれば大村湾は湖となってしまう。

西海橋と新西海橋

奥が西海橋、手前が新西海橋

西海橋は1955(昭和30)年の完成当時、アーチ橋として世界3位の長さを誇った技術・デザイン共に評価の高い橋梁です。設計に携わった吉田 巌は後に若戸大橋や瀬戸大橋の架橋に携わっており、日本の橋梁史の起点となった場所でもあります。

 

潮流が凄まじい針尾瀬戸

潮流が凄まじい。山間の河原に来たかのように水の音が鳴り続いていた。

いつまでも残って欲しい軍事遺構である。

つづく

アクセス

コメント

  1. 元オーナー より:

    TVアニメブレイブウィッチーズ1話冒頭で扶桑皇国海軍針尾送信所としてでました。
    長崎から佐世保に行くときによく見ました。

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