2022年1月14日、枝光で木造アーケードを見学した後、お隣の戸畑地区にやってまいりました。北九州の中心街 小倉から電車で10分。行政区分としては北九州市戸畑区で、区域の半分を日本製鉄の敷地が占める黒鉄の街でございます。洞海湾を挟んだ対岸は、かつて石炭の積出港として栄えた若松。戸畑とは後述の若戸大橋や渡船によって結ばれており、その玄関口として往年は賑わいました。そんな残り香を追い求め、やってきたのでありました。
JR戸畑駅
スタートは戸畑駅の北口。イオンやバスロータリーのある南口と比べ、勝手口的立ち位置ですかね。都会ながら落ち着いた雰囲気ですが、、
壮観ではありませんか!
美しく見えるようにここに橋が建てられたかのような圧倒的存在感、すごいですねぇ。若戸大橋は1962年(昭和37年)に完成、竣工当時は東洋一の規模を誇りました。国内で見ても、瀬戸大橋や明石海峡大橋といった代表的な長大吊り橋の先駆けとなった存在で、当時の北九州がいかに勢いのある都市だったかが伺えます。
手前に見える線路はJR鹿児島本線の旅客線として使われてきましたが、1966年(昭和41年)の鹿児島本線複々線化にあたって貨物線となったもの。現在でも旅客線時代の旧戸畑駅のホームが残されています。
いくよ旅館
駅前通りを進もうとしたところ、右手の路地の先に気になる角地建築を見つけてしまいましたので、さっそく寄り道。
国鉄推薦旅館!!
桐生で見かけて以来、半年ぶりの再会でございます。今では界隈のマニアくらいしか惹かれないであろう謳い文句です。ただ戦後まもない頃、この称号を得た旅館は時刻表の巻末に掲載されていたんだそうで、現在でいえば食べログの百名店というところでしょうか。投資が投資を呼んだ時代に、客が客を呼ぶそんな賑わいだったのではないでしょうか。
現在は休業中ですが生活の気配はあり、空き家としてこのまま朽ちていってしまう・・・そんな心配はしばらくなさそうです。
戸畑の目抜き通り
再びメインストリートに戻り、渡船場を目指します。
年季の入ったビジネスホテルがお出迎え。1960年代までは、製鉄のみならず日本水産の遠洋漁業拠点、さらには石炭商社が集った対岸若松への玄関口として賑わった戸畑。賑わいは失われてしまいましたが、こうした駅前宿、
加えて立派なメインストリートと商店街の痕跡がそこにあった賑やかな暮らしを想像させてくれます。
他サイトを見るに5年ほど前までは営業していたようですが、、、今回の旅ではテープ貼りした窓をよく見かけます。
若戸渡船 戸畑渡場
と、あちこち寄り道しましたが、駅から徒歩6分、渡船場へやってまいりました。江戸期からの歴史ある渡船で、現在では北九州市が運行主体となっております。若戸大橋完成までは、若戸間の唯一の移動手段だったわけですが、当時は若戸共に地域産業の全盛期。多くの住民や労働者が乗りあい、それは賑やかだったのではないでしょうか。
戸畑と若松を結ぶ新旧大動脈の共演。右手には製鉄所も見え、戸畑を象徴する眺めです。
関東では見かけない渡船ですが、西日本地域には生活の足として残されているところが多い印象です。
ちょうど若松からの便が到着したようですね。皆さん慣れた足取りで渡船場を後にされます。私にとっての非日常も、誰かにとっては日常なんですね。渡船場内も見てみましょう。
職員の方が次の到着便を待ちながら、待合室の様子を伺っておりました。鉄道やバスに比べ、のんびりとした時間が過ぎてゆく交通手段です。
渡船場前の空き地はかつての戸畑バスセンター、さらに遡れば西鉄北九州線という路面列車の戸畑駅のあった場所でした。若松・戸畑と、小倉方面の短絡ルートでありましたが、周辺地域の産業縮小、自動車の台頭やJR路線の地域輸送の充実によりいずれも廃止に追いやられてしまいました。
ということで、戸畑探索はこれにて終了。
以前若松地区は訪れておりますので、その時の様子はこちらでどうぞ
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