碓氷峠 廃線ウォークを上下線堪能してきたpart5 熊ノ平信号場⇒軽井沢

関東

新碓氷川橋梁・熊ノ平間はこちら

碓氷峠 廃線ウォークを上下線堪能してきたpart4 新碓氷川橋梁⇒熊ノ平信号場
峠の湯・新碓氷川橋梁間はこちら 14:10 靄の新碓氷川橋梁へ 場所は、こちら★ 横軽区間の中間地点に近づいてきました。 やはり眺めが開けるとテンションは上がりますね。 靄がかり、乙な雰囲気です。 ツアー参加前は、雨天予...

15:20 熊ノ平発 第4トンネルへ

2012年夏に撮影した第4トンネル

熊ノ平から群馬・長野県境に向け、再び歩き始めます。まずは全長117.9mの第4トンネル

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国土地理院標準地図を用いて筆者作成

軽井沢までのトンネル数は、下り線15本に対し、上り線は9本と大きな差があります。
これは上り線が旧線の軌道を活用して造られており、旧線が敷設された明治期と新線の昭和期の技術の進歩によるものとも言い換えることができるでしょう。

第4トンネルはさらりと抜けます。

かわいいアーチ橋がお出迎え

懐かしいフィルム式カメラ

これは線路上に落ちていたもの。前述のアクエリアス缶と同様、「現役時代に乗客が落としたものではないか」とガイド氏。
当人はショックは計り知れませんが、こうして峠の歴史遺産となり重宝されています。

第4トンネルを振り返る

難所に相応しい線形

トンネルが断続的に続きます。

雨が再び降り始めました

一行は黙々と歩きます。
そして、第7トンネルを抜けたところで

列車が下っていた線路を登っていく一行

り線に転線します。

というのも、この先の第8、第9トンネルが過去の台風被害で通行が危険であるからなのだとか。その危険な状況は、この先で確認できたのでのちほどご紹介することにしましょう。
ここからしばらくは上り線を軽井沢方面に進んでいきます。

筒状の出口の上り線 第7トンネル(187m)

この構造は、トンネル出口上からの落下物を防ぐためなのだとか

上り線 第7トンネル内は少し荒れている

これも先述の架線同様、盗難被害によるもの。側溝に収まっていた銅線類が根こそぎ持っていかれてしまったのだとか。

15:50 元の下り線へ

第8トンネルを抜けたところで熊ノ平ぶりに落ち着ける時間が訪れますが、ここで先ほどの転線しなければならなかった理由を目にすることに。

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国土地理院標準地図を用いて筆者作成

通行ができなくなっていた下り線へ向かってみると

軽井沢方面を望む

枕木が浮いとる・・・

こちらは横川方面

こうなってしまったのは、
令和元年の台風19号(車両基地の北陸新幹線が水没したあの台風です)で大雨となった際、濁流が路盤を削り取りながらこのトンネル内を駆け下りていったためなのだとか。これだけの浸食が起きたわけですから、激しい水流だったことは想像に難くありません。

「その光景、ちょっと見てみたかった」

とは口が裂けても言えませんが、とにかく被害は甚大で今なおツアーも迂回を余儀なくされています。

第十三橋梁。1893年竣工

そんな下り線の脇には旧線跡の煉瓦アーチ。新線の下り線の熊ノ平・軽井沢間は基本的に旧線を転用して敷設されていますが、この場所のように若干のズレがあります。新線敷設に当たり線形改良も併せて行われたためなのだそう。

ちなみに新線が現役のころにこの場所で撮られた動画がありましたので、参考に貼り付けておきます。

ロクサンに押される白山色の489系。季節もありますが、第十三橋梁は今の方が手入れされているように見えますね。

新線の南側を寄り添う旧線

いちばん奥のアーチ部分の下をかつて国道18号が通っていました。

碓氷峠鉄道文化村の展示より。道路がアーチをくぐっているのが分かる。

再び横川方面

そんな第十三橋梁の先には

煉瓦造りのトンネル。右は下り線の第10トンネル(71.4m)

ここまでで峠の湯から歩き始めて既に3時間。
少しずつ疲れが出始めてきました。

レールは日本海を目指して峠を越えてゆく

短い間隔でトンネルが続きます

そして第11トンネル

第11トンネル(291.1m)

出口近くに脇穴があるのでちょっとここから出てみましょう。
旧線のレンガ造りのトンネルに、コンクリート製の構造物が継ぎ足されているのがわかります。

継ぎ足されたトンネル側面

これも落石防止のためでしょうか。このように旧線が新線に作り替えられたその変遷を辿ることができる点は下り線ツアーの魅力でしょう。

第12トンネル(183.5m)

疲れたからだにコカ・コーラ

峠をゆくには糖分は欠かせません。それを思い出させてくれる峠の落し物。

雨で靴が濡れはじめ、この辺りが体力的にもしんどくなりはじめます。歩くことに専心しはじめたからかこの後ピンボケ写真が増えてきます←

16:22 廃線に住まう者

さてさて、疲れを吹き飛ばせ。下り線終盤の見どころをご紹介
と言っても少し変わり種ですが、世捨て人の生活跡です。一瞬ギョッとしますが、変わったものは写っていません。

線路脇に衣類?

ブルーシートの中を覗いてみると

万能調味料めんつゆが。うどんに煮物にと役立ちます

何らかの理由で、世俗を離れこの場所で雨露をしのいでいたのでしょう。
めんつゆのパッケージを見るに、生活されていたのは比較的最近でしょうか。

非常電灯装置

雨脚はさらに強く

雨をしのぎ、徒歩の数倍の速度で駆けていく鉄道。
同じ道を行っているはずですが、そこを歩いてみると、移動手段として鉄道の快適さ・利便性を再認識します。

トンネル内でお休み

ツアー最後となる休憩。ここまでくればラストスパート。

旧線に並列した第16トンネル

勾配が最後まで続きます

トンネルを下っていく雨

水音を立てて勢いよく水が流れていました。最も低い位置に存在するトンネルの入口が、ちょうどお風呂の排水溝のような役割を果たし、水を集め山の下へ伝えていきます。これが台風で大雨となれば激流でしょう。先述の路盤流出も納得。

そして、ついに最後のトンネル。第18トンネル(405.1m)です。


トンネル内には群馬・長野県境が待っています。第18トンネルは横軽の終わりの場所でもあり、また浅間山を望む信州路のスタートでもあります。では行きましょう。

峠の行程を通じて、参加者の皆さんの背中もどこかたくましくなったように感じます。

汚れてしまった自動停車装置(ATS)の地上子

列車たちを支え続けたレール。かなり酸化が進んでいました。

枕木上を絶えず水が流れ、レールにとっては厳しい環境。
とはいえレールの上を歩くという非日常が廃線ウォーキングの魅力です。設備の維持管理はコストが掛かるでしょうがなんとか後世に残していってもらいたいですね。

そして、ついにその瞬間が

16:48 碓氷峠 制覇!

開けた!!

解放感、達成感、異国へやってきたという実感。国境の長いトンネルを抜けると・・・ベタではありますが、頭をよぎります。

「越えたんだ、あの碓氷峠を自らの足で」

不思議と軽くなる足取り。単純です。

横川駅から続いた上り勾配はここまで

標高956m。横川から550m近く登ってきました。レールは、ここから1㎞ほど行った軽井沢駅に向かって3‰の勾配で下っていきます。往年の特急あさまは、さらに軽井沢、長野を通り、日本海側の街 直江津まで向かっていましたが、私たちの旅はここまで。

振り返ればトンネルに吸い込まれるレール

旅の終わりに小話をば

廃線後、放置されていた横軽区間は、地元の安中市がほぼ全区間の譲渡を受けました。当初はトロッコ列車しぇるぱ君を熊ノ平、さらには軽井沢まで走らせる計画なんかもあったのですが、勾配の厳しさ、施設の老朽化、国交省の事業許可なんかがネックとなり頓挫。現在の形になったようです。

ただ、そのような経過を経た廃線ウォークも、安中市観光機構による荒れた路盤の除草・整備や勾配票の設置などの努力があって実現に至ったようです。横軽を過去の遺物として放棄せず、貴重な歴史遺産として向き合ってくださった地元の方々には感謝しかありません。

最後はこの言葉で締めたいと思います。

横川のまちに汽笛は鳴り止まない

おしまい

上り線ツアーはこちら↓

碓氷峠 廃線ウォークを上下線堪能してきたpart6 軽井沢⇒熊ノ平信号場
では、最後に上り線ツアーに参加した際の様子をご紹介しましょう。 碓氷峠の詳細な説明は、part1~5の下り線ツアーの方で紹介しましたので、こちらは鉄道好きというより ちょっと変わったハイキングに出かけてみたい と思われて...

ツアーまとめ

碓氷峠 廃線ウォークを上下線堪能してきたpart1~準備編~
廃線に惹かれ 人の趣味・嗜好はどういった要因で形成されるのでしょうか。 この疑問は私の中で答えが出ていません。ある車好きの知人に聞いてみても 「分からん。小さい頃からミニカーを握りしめていたらしいからなぁ」 ということで...

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