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※2020年3月撮影
14:10 斜陽の街をあとに
普通列車で帯広へ向かいます。およそ3時間の旅路
同区間を走るこの子
スーパーおおぞらに乗れば帯広まで1時間半。普通列車の半分の時間で行けてしまいますが、青春18きっぷの旅ですので、ゆっくーり進んでまいります。
18きっぷを使わず、別途特急券等を買うという選択肢もありました。ただ、普通列車の方が沿線の方の生活に直接触れられるので、どちらかといえば積極的に普通列車を選んだのでありました。
乗客5名ほどですが花咲線と異なり、駅ごとに数名の乗り降りがあります。今乗車している釧路以西の方が沿線人口も多いということでしょう。
車内にはトイレもありますので、安心して長旅に臨めます。
釧路から厚内までは、太平洋に寄り添うように列車は進みます。席を取るなら、間違いなく進行方向 左側が良いでしょう。海を旅の伴侶とすることができます。
釧路の街は前回記した通り、斜陽の街でありました。
ただ、列車に乗って分かったのは、この普通列車がいくら西進しても人家がなかなか途絶えないということです。
都市圏としての釧路は、まだまだ道東の中心エリアであるようです。
14:45 白糠 着
北海道の駅名標といえば、サッポロビールがスポンサーとなったホーロー看板ですよね。良い味を出しています。現在地はこのあたり。
ちなみに、鉄道紀行家の宮脇俊三が1975~78年にかけて同地を訪れ、その様子を『時刻表2万キロ』で綴っていますので、ちょっとご紹介。廃線の数年前の来訪ですが、当時ののどかな日常を活写しています。
6時38分発の白糠線北進行の列車はディーゼルカー一両であった。(略・北進へ向かう車内)上茶路の駅のすぐ脇にも一〇頭ばかりの牛の放たれた牧場があって、そのなかのまだらの一頭が草を食むのをやめてこっちを眺めている。牛や馬が汽車を眺めるのは珍しい。一日三往復しかないし、汽車好きな牛かもしれない。(略)終点の北進は、コンクリートの片面ホームと片屋根の物置があるだけの駅で、人家も何もない。(略)7時28分、北進から引き返す。(略)駅ごとに高校生が乗ってきて、白糠に着く時は通路にも立っていた。
『時刻表2万キロ』第12章
昨今でもJR各社が各線の収支を公表して、赤字ローカル線の存続が話題となっております。通学の足。鉄道に残された最終的な役割がそれなのでしょうが、果たして最良の手段かどうかは、地域により議論が分かれるところでしょう。
さて、白糠を出た列車は再び海岸線を撫でるように帯広に向けて進んでいきます。
路盤は首都圏でも見かけるPC枕木。特急も走る幹線ですので、しっかり設備投資がなされています。
少しわかりにくいですが、先ほどのレールと比べると心なしか細く歪みがあるように見えます。枕木もその名のとおり木で作られているのではないでしょうか。
路盤を眺めることで、その路線をJRがどのように認識しているか分かるのかもしれませんね。
晴れ渡った夏場に来たら、最高でしょうなぁ。
15:34 厚内 着
釧路から1時間半 58.3km。所要時間的にはちょうど釧路と帯広の中間地点になります。
柱のあちらこちらに「あつない」の駅名標があるのがかわいらしいのですね。
場所はこのあたり
厚内駅手前からは、根室本線は連れ添った海岸線に別れを告げ、内陸部へ分け入り、十勝平野を目指していきます。
列車は、伴侶を太平洋から厚内川に変え、親が子ども連れ行くようにゆっくりと山へ分け入り、勾配を登っていきます。
根室本線から違う路線に乗り換えたかのように、車窓が一気に山岳路線のそれになってきました。床下からの排気音も気合が入って参りました。
15:54 浦幌 着
看板のフォントがどれも良い味を出していますね。一部の特急も停車する主要駅の1つ、浦幌です。
林野が多く、畜産や林業が盛んだそうです。
列車は町の静寂を崩さないようにゆっくりと発車していきます。
日がだいぶ傾いてきました。
帯広まではもう少しです。
16:26 池田 着
要衝 池田にやってまいりました。6分間の停車。せっかくなので、外の空気を吸いにホームへ出てみました。
場所はこのあたり
かような規模なのは、2006年まで石北線の北見駅まで運行されていた北海道ちほく高原鉄道も乗り入れる交通の要衝の駅でもあったため。「ちほく」は旧国鉄「池北線」に由来するもので、「池」田と「北」見を結ぶ路線ということでしょう。
この池北線は、元をたどれば網走の街に初めて至った鉄路である網走本線として池田を走っておりました。以下をご覧ください。
出典:轍のあった道 さん
1912年時点のの北海道の鉄道網です。こちらをご覧いただくと、札幌から網走へのルートが現在の旭川から東へ内陸を横断するルートでなく、南部の帯広から縦断するルートであったことが分かります。
広大な平野が広がる北海道とはいえ、大雪山あたりの急峻な山々を鉄路で越えていくことが難しかったのでしょう。池田は、そんな鉄道の要衝の街でございました。
そして、現在ではぶどうとワインの街として知られています。ホームからは、
正式名称は
池田町ブドウ・ブドウ酒研究所
なんと取っつきにくい名前・・
ただそれもそのはず。このお城、単なる観光施設ではなく地元池田町が運営する地方公営企業なのだそうです。
1960年代、十勝地震で深刻な被害を被った池田町は基幹産業の創出を目指し、町長の丸谷 金保氏の旗振りで、自生するヤマブドウを活用したワインづくりに着手。その中心となったのがこの「研究所」だったんですね。
そして最終的にこの計画は大成功。今や池田町を代表する施設となり、十勝ワインというブランドを確立することになりました。
これまで、バブル期にできたハコモノ施設とばかり思っていた筆者は絶句。池田町の熱意に頭を垂れるしかありませんでした。いつか嗜んでみたいものですな。
6分の停車を経て、出発。帯広までラストスパートです!
17:10 帯広 着
北海道上陸後、見ることのなかった都会的な街並み、新鮮です。
ピッタリ3時間の旅路。根室から考えると6時間近くでしょうか。おつかれさまでした。
今宵はこの帯広を満喫しようと思います。
帯広の夜
駅舎はご覧の通り。
釧路と比較すると新しさもあって綺麗です。駅前もしっかり整備されており、経済力を感じますねぇ。
現在の気温は
マイナス3℃
冬に北海道へ旅することを友人に伝えると
「寒い時にそんなところへ行ってどうすんだよ」
と、白い目で見られることがありますが、寒さを覚悟して重装備で行くと意外とイケるというのがこれまでの感想です。
むしろ東京で、昼の暑さに合わせて薄着で出かけたものの、夜、風に吹かれる帰り道の方がよほど寒かったり笑
このあと、本当はばんえい競馬を見に行くつもりでしたが、今般のコロナの流行で、無観客にてレースが決行されると耳にします。仕方なく、気になっていたメシ屋に向かうことにします。
成吉思汗を食べに有楽町へ
というわけで、東京は有楽町に帰ってきました。(違)こちらは西帯広駅前にあるジンギスカン屋さんです。
「地元で愛されるジンギスカンを食べたいんだ」
そんな私に帯広を根城にしていた友人が紹介してくれたのがこちらだったのです。
帯広駅前のバスターミナルから高頻度でこちらの西帯広を経由するバスが走っておりますのでこちらでのアクセスがおすすめ。390円とかでやってこれます。
これですよ。この雰囲気。
まさに地元に根差したジンギスカン屋さんですね。ありがとう友人。
お値段もメニューをご覧いただければお手頃すぎる価格。おじさん感動です。
お肉の持ち帰りもできるようで、地元の方が頻繁に出入りしておりました。期待が膨らみます。
やってきましたよ。ちゃっかり一人焼肉はデビュー戦となりました。
写真は成吉思汗2人前と特大ライス。このボリュームで1,000円ちょっとですから、おじさん再び感動です。
美味しそうなお肉を前に、初めての余韻に浸る間もなく箸を持っていました。いざ!!
う、うますぎる・・・
今度はホルモン1人前を頼んでみました。王道 成吉思汗には敵いませんが、別鍋でやってきたこのホルモンもまた美味です。
そして、気になっていた〆がこちら。うどんです。出汁のある鍋でもないのに締めにおうどん?不思議なメニューについ頼んでしまったのですが、かようなことに。
二郎を髣髴とさせる平太麺で、そんなこともあってか無意識に自分を胃袋の限界に挑みたくなる気持ちが湧いてきました。これもまた焼うどんのようで美味でありました。おなかいっぱい。
大満足で帯広へ戻ります。ごちそうさまでした。
帰りはちょうどいい時間に列車があったので、西帯広駅から帰ります。
雪が街灯で照らされたホームって良いですよね。
列車がやってきました。
明日は早朝から動きますから、午後7時台と早い時間ではありましたが宿で休息をとることにしました。
明日は帯広へ来るきっかけとなったあの場所へ行きたいと思います。
おまけ
クセが強い
つづく!
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