[関西重伝建地獄]宿場町の面影残る関と商業都市 宇陀をゆく

東海・甲信越

いきなりですが、重伝建という言葉をご存知でしょうか。

正式名称

重要伝統的建造物群保存地区

 

念仏のような漢字の羅列・・・正直あまり馴染みのない名前ではないでしょうか。ただ、「古風な街並みを散策したい!」という時に、この制度に選定されているかどうかを確認すると、とても参考になるのです。

実際に選定されている地区としては、長野県の馬籠宿、京都の祇園、岡山の倉敷美観地区などこうして並べてみると、少し親しみが湧いてきますでしょうか。県を代表するような観光地が多くあります。そして、どこも歩くだけでも楽しい場所ばかり。文化庁のHPには

昭和50年の文化財保護法の改正によって(中略)城下町,宿場町,門前町など全国各地に残る歴史的な集落・町並みの保存が図られるようになりました。(中略)国は市町村からの申出を受けて,我が国にとって価値が高いと判断したものを重要伝統的建造物群保存地区に選定します。

市町村の保存・活用の取組みに対し,(中略)税制優遇措置を設ける等の支援を行っています。

令和元年12月23日現在,重要伝統的建造物群保存地区は,100市町村120地区(合計面積約3,960.2ha)あり,約29,000件の伝統的建造物及び環境物件が特定され保護されています。
引用:文化庁HP

実は、上に挙げた有名な地区ばかりではなく、国内にはたくさんの重伝建地区があるのです。その数120。想像よりも多いと感じた方が多いのではないでしょうか。世に知られていない街並みがまだまだたくさんあるということです。
そういうわけで今回は、一般にはそこまで名前が知られていなそうな名脇役とでも言いましょうか、そんな街並みにスポットを当て、ご紹介したいと思います。

この説明が関の山だ

今回の旅のスタートはこちら

かつてTVの液晶工場で名を馳せた三重県亀山市。その近くにある東海道の旧宿場町 関宿です。

東海道関宿

東海道関宿

宿場としての機能し繁栄したのはもちろんですが、
に進めば名古屋伊勢
西に進めば奈良琵琶湖、さらに京都
各方面への交通の要衝にあった関宿は、旅人や商人が行き交い、大変賑わったといいます。写真は東方を写したもの

緩やかなカーブがその先を期待させてくれる

こちらは西方
関宿

古い家並みに子どもたちの姿 嬉しくなる

現在は、ご覧のように、地方の一集落としてこじんまりしています。
が、それでも街は朽ちることなく、現在まで人の営みが続いており、往年の旅人がこの地を通り何を想い、何を感じたか、追体験することができます。地方に行くと
やれシャッター商店街だやれ閉校だ
と暗い話題ばかりで嫌になります。でも、だからこそ、こうして子どもたちが遊んでいる光景を見るだけでも嬉しくなってしまいますね。

塩の看板が良いアクセント

関宿は、どうしても東海道の宿場町という印象が強いですが、その歴史を紐解いていくと、西暦600年ごろまで遡ることになります。
大化の改新以降、各地のインフラ整備を進めた律令政権は、その一環として道路整備を行います。ただ、人々の移動が活発になる反面、防衛上の懸念が生じます。そこで672年に起きた壬申の乱後、大友皇子に勝利した大海人皇子(のちの天武天皇)により当時都のあった飛鳥(現在の奈良県)防衛のため、関所の整備が行われます。
日本三関

日本三関

その中でも、福井県の愛発(あらち)関、岐阜県の不破(ふわ)関、そしてこの関の街、当時の名前で鈴鹿関は、東方から都へ進入する主要ルート上に存在し、日本三関と呼ばれ、重要視されていました。

観光地化されることなく静かに楽しめる

さすが関西。関東に比べると、歴史の厚み1000年単位になりますからすごいもんです。
移動の主役が鉄道、そして自動車へと変わっていく中で、この街並みを通る人の数は大きく減ったことでしょう。ただ、現在も、鉄道で言えば関西本線が、自動車で言えば名阪国道が、それぞれこの関の街を通過しております。

山にかかるもやがまた良い

ちなみに冒頭に紹介した関の山という言葉
辞書を引けば
「このチームでは、県予選1勝が関の山だ」
なんて感じで使う言葉ですね。実はここで言う関とは、まさにこの関の街のこと。山とは、祭りで使われる山車。
つまり関の山とは、関の祭りで使われる山車のことで、街道沿いの限界の大きさまで作りこまれていた関の山車が、祭りの際に街中をぎりぎりで通過する様が由来となっている言葉なんですね。(諸説あり)
この言葉は現在、広く使われておりますが、一方で、この関の街の存在を知っている方は正直多くはないでしょう。そんなことからも、この言葉が生み出された当時、この街をいかに多くの人々が行き交い、山車がギリギリで行く様を眺め、その光景に共感できる人が多かったかが分かるような気がします。
言葉には、表現する手段の他にも、世相を反映し後世まで伝えていく、そんな役割もあるかもしれませんな。
というわけで関宿の紹介でした。
国内における交通の変遷に触れることができる貴重な場所として、後世までこの街並みと人々の生活が残っていくと嬉しいですね。

おまけ

津市大門商店街

津市大門商店街

当日の宿は、三重県津市。夜の街へ繰り出すと場末の商店街

 

2日目は宇陀宇陀していられない

翌日、奈良県へ移動し、引き続き重伝建巡りをしていきます。

2日目は快晴

訪れたのは、宇陀市松山の街並みです。場所はこちら

修験道の中心地、そして1300年代には南朝が存在し、国の政の拠点であった吉野
そのルート上に築かれた宇陀松山城の城下町として発展してきました。

重伝建と一括りにされますが、宿場町、城下町をはじめ、主要寺院の門前町や舟運の拠点となった港町など、その成り立ちは大きく異なっています。

宇陀市松山

石畳にせみ時雨が響く

とはいえ、この宇陀の街並みも関宿に劣らず歴史を感じさせてくれます。

散策が楽しくなる街並み

宇陀の近くにはかつて、水銀などが採れた大和鉱山がありました。現在では往年の面影はありませんが、少なくともその存在がこの宇陀の賑わいに影響を与えたことは間違いないでしょう。

夏服に麦わら帽子のおじいちゃん。なんですかこの幸せな光景は

角に立つこちらの建物は、江戸後期に建てられた森田家住宅。壁面には、当時販売されていた商品でしょうか。様々な商品広告が刻まれております。

写真にある「ウルエス」というのは、江戸期に人気を博した胃腸薬だそうで、胃を空にする→空ス→(空を分解して)ウルエ+スでウルエスという一種のダジャレが元になっているんだそう。これをひらめいた瞬間て、頭がすっきりしそうですよね笑

現在でも小林製薬が面白い商品名(整腸薬にガスピタン、発熱時に使う熱さまシートなど)をつけていますが、江戸の当時からその流れはあったんでしょう。昔の人に対し、どうも自分とは違った時代の人と思ってしまいがちですが、こうした豊かな表現力に垣間見る人間味に触れると、親近感が湧いてきます。

文具店の尚文堂

これが宇陀スタイル

商品にガムテープで直接値段を貼り付ける斬新なスタイル笑

つづく

橿原市今井町と五條市を散策 | 広大な寺内町と未成線・大名の政治を知る[関西重伝建地獄]
前回はこちら橿原に残る環濠集落続いて訪れたのは、奈良県橿原市にある今井町と呼ばれるエリア橿原は、現在の宮崎県からやってきた神武天皇が紀元前660年2月11日に即位したとされる場所。この即位した日は、建国記念日として現在も...

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