コロナの感染拡大が続いております。春分の日の本日3月20日。出かけるでもなく、半日ずっと家にこびりついた垢落とし(正確には、これまでの家事の怠慢)をしておりました。暖かい春の気候になってきたにも関わらずもったいないですが、干していた布団が食パンのような柔らかさに!今宵が楽しみであります。さてさて、余談はこれくらいにして、
今回は、こんな時だからこそ遠くへ行かず、敢えて近場、地元東京を巡ってみた記録を掘り起してご紹介!
まず出かけたのは、お上品な街。今の言葉で言うならば、上級国民が住まう街、白金。そこから広尾、麻布を経由して、青山まで抜けたいと思います。ルートはご覧のとおり
ちょうど地下鉄が通らないルートであるのと、そもそも庶民には近づきがたいエリアだったこともあり、あまりご縁がないエリアでした。なので、東京の新たな顔を見るべく出かけたのでありました。※2019年4月撮影
白金と書いてプラチナと読む
スタートは、地下鉄白金台駅。目黒からは1駅。都営三田線、東京メトロ南北線乗り入れる高級住宅街にある駅です。駅の上を走る目黒通りに出ると、
これがドンキ?笑
いつもはこんな色で、異彩を放っているみんなの台所、ドン・キホーテですら気遣いをしなければならない街、それが白金なのです。
遠くから見ても、キャンドゥよりも目立たない。が、それは余裕の表れなのか。とにもかくにも、この色とこのハイソな街まで勢力を拡大しているドンキに驚愕するのでありました。
ちなみにご安心ください、通常店舗に比べて多めに海外の調味料なんかも扱っているようですが、商品の価格帯は他のドンキと変わらないそうです。
プラチナドン・キホーテから目黒通りを東にちょっと進むと、再び異彩を放つレトロな建築が見えてきます。
駅前に在る、超巨大近代建築
白金台駅徒歩1分。高層マンションの謳い文句のような立地に佇む巨大近代建築。すごい存在感です・・・こちらは、港区立ゆかしの杜(もり)で、2002年までは国立公衆衛生院として使われていました。1938年(昭和13年)に竣工した建物の設計は、東大の安田講堂、新宿にある損保ジャパン本社ビルなどをデザインした東大教授の内田祥三。
優美な佇まいですよね。公衆衛生院とは、まさに読んで字のごとく、公衆衛生に携わる専門技術者の養成と調査・研究を行っていた国の機関だったそうです。2002年に国立保健医療科学院に改組され、埼玉県和光市にその機能を移転しています。
現在、建物は港区の所有となり、郷土資料館、学童クラブやがんの緩和ケアセンターなどが設置された複合公共施設として再出発をしております。いやぁ取り壊すことなく、利用の英断をした港区、さすがであります。
公衆衛生院は元々、関東大震災で灰燼に帰した東京に対するロックフェラー財団の慈善事業として設立されたのが始まりなんですと。ただ、実際に設立された1938年(昭和13年)当時は、日本は日中戦争の真っ只中にあり、日米関係も悪化の一途をたどっていた時期です。ものの十数年で国際状況はこうも変わってしまうのかと驚くばかりですね。せっかくなので中へ入ってみましょう。
おおおおおおお!
内部も綺麗に残っております。
円形の吹き抜けもまた、品がありますねぇ
複合施設ではありますが、建物内が区画されていて、このように観光スポットのように見られる箇所もあれば、事務所のように、スタッフが配置されている場所もありました。
役所の施設でありながら、観光にきている気分になれるというのがなんとも不思議な感覚です。
この規模の近代建築が、未だに現役な例は国内でもなかなか希少なのではないでしょうか。
懐かしい学校の雰囲気
懐かしい雰囲気。どことなく学校のような雰囲気
本当に学校でした笑 大学の教室って感じですね
医科大学って感じですよね。現在の比較的清潔と日本が評価されるようになったのは、ここに写る方々が勉学に勤しんで、現場でご活躍し、後輩たちを育ててくれたからなんでしょうね。頭が上がりませんな。
似たような教室で日々授業を受けていた当時は、小汚い教室だなぁくらいにしか思いませんでしたが、視点が変わってみると、受け取り方も変わるもんですね。すごいとこで机に突っ伏していたんだなぁと笑
こりゃ隠れて寝ていたつもりでも、教授にはすべてお見通しだったんでしょうなぁ笑 ごめんなさい。
こちらの講堂は2024年のNHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』で主人公 猪爪寅子が挑む高等試験の試験会場のロケ地にもなっています。
暖色の講堂から眺める青々とした緑。素晴らしい眺めです。
まるで当時の絵ハガキを見ているようです。
港区に住まう彼らは、将来日本経済を背負っていくのでしょうか。どうかおじさんの老後をよろしくお願いします。
下から眺めても良いですねぇ。人物画を撮る時は、下から見上げるような構図だとお姉さま方に睨まれてしまいますが、ここでは躊躇なくシャッターを切ります。
以上、港区立やしろの杜でございました。写真にはありませんが、郷土資料館はなかなか見ごたえがあります。日本史とともに歩んできた港区エリアの歴史ですからね、観賞に小一時間ほど要してしまいました。歴史好き、建物好き、そして学生時代の思い出に浸りたい大人世代にも楽しめる素晴らしい施設でありました。何より未だに行政の一翼を担っていることにも驚きました。後世まで、この地で港区のこれからを見守っていってもらいたいですね。
白金をあとにし、北上。名前を耳にしたことはあっても「なにがあるの?」と尋ねられたら答えに窮する広尾に向かいます。それだけ個人的にご縁のなかったエリアなのです。
おまけ
※2020年5月追記
目黒駅で本施設の広告を見かけたのでご紹介。このスケールの大きさは本物ですよ。ぜひ、実際にご覧ください。
つづく
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