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※2022年7月2日(土)撮影
今の官庁舎を見に
歴史ある旧庁舎を見た後は、現庁舎も観に行くことにしましょう。
先ほどの町役場は初代庁舎で1960(昭和35)年まで使われました。現在の庁舎は2014(平成25)年から使われる三代目庁舎。
iphoneの修理屋なんかも、いつかは「なんぞや」となるのでしょうか。
個人の筆で生み出された警察署とは思うが、私のような徘徊者は取り締まり対象ではないようです。
ここで裏路地はおしまい。栃木市のメインストリート 蔵の街大通りへ合流します。
銀巴里とは、かつて銀座に存在したシャンソン喫茶で、美輪 明宏と三島 由紀夫が交流を重ねた場所としても有名な場所。そこから名前が取られたもの?または関係の方のお店でしょうか。
外装も店名も、大通りの良いアクセントになっておりました。
創業時からありそうな風貌ですが、詳細は不明です。
1861年(!)に立てられた建物を栃木市で創業した下野新聞社が栃木支局として活用している建物です。
建てられた時代はまだ江戸時代。ちょうどペリー来航来の同様で幕藩体制が揺らぐ中、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されたタイミングに近いのですが、ちょうどコロナで社会が変わりつつある昨今に近い時代かもしれません。
同新聞社には、足尾銅山鉱毒問題に取組んだ田中 正造も一時期所属しておりました。
見ごたえのある建物が続きますよ。
1934(昭和9)年に建てられ、昭和から平成中期にかけては市の教育委員会庁舎として、現在はイタリア料理店として利用されております。門司港レトロのように、経年を魅力に変えた品のある佇まいですね。
栃木市立百貨店
そして今回の主役、栃木市役所にやってまいりました。百聞は一見に如かず。
まずはその姿をご覧ください。
あれ
東武デパートですね。ただ、近づいてみますと、
そう、市役所とデパートが同一の建物に入居しております。これが三代目 栃木市庁舎です。面白いですね。
1階が東武デパート、2階以上が役所となっております。中へ入ってみましょう。
ただ、ポイントに目をやると、
なんとも不思議な空間です。
このような”奇景”が生まれた背景ですが、ずばり中心街の空洞化対策です。
かつてこの建物には、栃木のローカル百貨店 福田屋 栃木店が所在しておりました。ただ、同社の経営が傾いて・・ということはなく、むしろ同社は早期から商業施設の郊外移転の流れ汲み、全国でも注目を集める企業でした。
一方、この栃木店単体の採算は芳しくなくリーマンショックが決め手となり、2010(平成22)年頃に閉店となりました。不採算店の閉店とはいえ閉店後、蔵の街大通りの人通りは目に見えて減ったと言います。
そこで立ち上がったのが市でした。
ちょうど近隣自治体との合併で庁舎が手狭となり、老朽化も進んでおり建て替えが協議されている時期だったこともあり、庁舎をこの福田屋跡に移転することに決めます。
移転費用は、新庁舎建設に比して1/3程度で、かつ中心街の人の流れを絶やさずに済みます。1階に東武デパートを誘致し、2014(平成26)年新庁舎はスタートしたのでありました。
このような流れは全国でも見られ、土浦市役所(イトーヨーカドー跡地に入居)、石巻市役所(さくら野百貨店の跡地に入居)なども同様の対応をしております。
中心街の拡散、行政の財政難は厳しいところですが、こうした知恵が生まれるのを見聞きすると、まだまだ諦めるわけにはいきませんな!
蔵の街大通り
古看板のフルコース
栃木市立百貨店を後にし、最後に蔵の街大通りを南下。栃木駅に向かいます。
メインストリートの賑わいもさることながら、魅力的なお店がたくさんありますので、抜粋してご紹介しましょう。
調べると日本美容医学研究会も健在。「クロロ」の字体がかわいらいいですねぇ。
若かりし頃の王さんが店頭に。これはこれで目が行ってしまうので、良い広告ですねぇ。
日産化学工業は、日本初の化学肥料製造メーカー。3ケタの電話番号から察するに、昭和中期以前の看板でしょうか。
ファッションプラザ ニューオオタニさん
荒物とは、家庭で使うほうき、ざる等の雑貨類のこと。この言葉、初めて知ったのですがね。
あの勢力が蔵の街まで進出しているとは。。
最近黄色い看板を見ることが多くなりましたねぇ・確実に信者を増やしていますよ。恐ろしい。
個性豊かな建物、お店が楽しい
続いて個性的な建物たちを見ていきましょう。
建物は大正期のもの。煉瓦づくりのお蕎麦屋さんというのも珍しいですね。
通りの向かいに目をやると、
とちぎ秋祭りで使用される山車が所蔵されておりますが、この日お披露目イベント?が開催されておりました。
大通りから垂直に伸びていく参道。市内の神社はこうした配置になっている場所が多く見られた。
右下では親子とその友達が自販機を前にジュースを選んでおりました。小さい子ども達にとっては盛り上がる瞬間ですよね。
眼鏡を模した意匠かと思えば、こちらは本屋さん。すっかり減ってきてしまいましたね。
この栃木は、日光例幣使街道の宿場町として発展してきました。
日光例幣使街道は、東照宮への天皇からの奉納を代理で行った例幣使が利用した道のこと。群馬県の倉賀野で中山道から分岐し、この栃木を経て日光まで続いておりました。例幣使は京都から中山道を東進してくるため、そこから日光への短絡路として機能していたんですね。
市街地を横断する銀座通り。かつてあったアーケード(建物の1階と2階の間に見られる黒い帯がアーケードの跡のようです)は、2021年に撤去されてしまいました。
ただ、現在でも入口左手にはスターバックスコーヒーが建つなど、街の中心であることに変わりはありません。
地元で愛されるテイクアウト専門の巻き寿司屋さん。安くて美味しいと評判です。
鉄火巻きは2本で340円。最近都心と地方で物価の差が大きくなっているように感じますねぇ。もちろんこうしたお店の努力もあるはずですが、歪な感じがしてしまいます。
整然と並べられた食器たちが見ていて気持ちいですなぁ
というわけで、今回の栃木の散策はこれにて終了。急ぎ足になりがちだったので、ゆっくり見られたい方は半日強、確保されても良いほど歩きごたえのある街並みでした。
地形的に恵まれた繁栄、政治と県庁の移転、そして中心街の衰退と、都市としての経験が幅広い栃木。
ただ、盛衰を経ながらもこうして現在でも目を引く商店であったり、惹きつけられる街並みがあったりするのは、栃木の方々が都度知恵を出し、街づくりをされてこられたからでしょう。
これからも応援していきたい素敵な街でしたとさ。
おしまい
今回のまとめ
① ミツワ通り 編
② 巴波川 編
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