峠 とうげ
なんとも旅情をまとった一字です。辞書的には「山の坂道を登りつめた最も高い所。 山の上り下りの境目」。ただ実際にはそれ以上の温もりを含んでいるように感じます。
かつて峠を越えるというのは、住み慣れた場所を離れ、またそこに帰ってくることを意味しました。旅人たちは峠の道祖神に、行く先の安全を祈願し、また無事に帰ってこれたことを感謝し手向けをしたそうです。その「たむけ」が変化したのが「とうげ」なのです。
そして、近代以降も峠は人の営みと密接不可分でありました。勾配が苦手な鉄道を峠に通すべく知恵を絞り工夫をしていくわけですが、そんな先人たちの息遣いを感じられる峠を今回は訪れようと思います。(2023年(令和5年)8月撮影)
板谷峠
この日は板谷峠の4連続スイッチバックを米沢側の大沢駅から峠駅、板谷駅という順で巡ります。峠駅までは奥羽本線に並行している山形県道232号線を通っていきますが、、
道中はご覧のとおり人里離れた山の中。スマホの電波は届きません。
さらに足元も厳しく、ハンドルを持つ手が汗ばみます。舗装が剝がれた場所、路肩が崩れかけた場所が多い狭い道が延々と続いています。
九十九折の道を行くと、これまでの苦労を労ってくれているように青空が迎えてくれました。グーグルマップ上では「板谷峠」とされている場所。立て看板には「分水嶺」とあり、ここまでとは違う景色を楽しみにさらに進んでいきます。
「分水嶺」以降は足元もしっかりして運転がしやすい道となりました。送電線や発電所の維持・管理に使われているからでしょうか。
県道を外れて少し行くと、貸別荘や温泉への案内板など、徐々に人気が感じられるようになります。そしてこの看板を過ぎれば目的地はもう間もなくです。
峠の駅
賑やかになってきた峠道をすがるように辿っていくと、やってきました奥羽本線の峠駅です。住所としては山形県米沢市大沢。鉄道ファン的にはややこしいことになっています笑
とはいえ本駅はやはり板谷峠の象徴的な存在ですよね。訪問の感慨はひとしおです。1899年(明治32年)に開業し、1990年(平成2年)までは現在のこの場所にスイッチバック式の駅がありました。新幹線の開業に伴い、ホームがこのスノーシェッダー内に移設され、旧線を覆っていたスノーシェッダーが駅の入口となって現在に至っているという何とも面白い駅であります。
大沢が年間で、板谷が冬季で全列車通過となったいま、唯一年間通じて営業している板谷峠の旧スイッチバック駅となっています。また、シェッダー側面をじっくり観察できるのも、他の旧スイッチバック駅にはない魅力でしょう。
機能美ですな。素晴らしい。木造シェッダーもかなりの見ごたえです。「何としても奥羽本線の往来を守るんだ」、建設当時のそんな意気込みが立派なシェッダーの造りからも感じられます。板谷峠のスイッチバック遺構は、経済産業省の近代化産業遺産群にも選定されています。
足元も整備され見学しやすいですね。
ただ残念なことにシェッダーの各所に上記のような貼り紙が散見されました。熊の出没や利用者のマナーなど、昨今ニュースを賑わしているテーマでありますね。シェッダー内で過ごす一夜に惹かれる気持ちもわかるのですが、こればっかりは仕方ないですね。かつては駅寝といって、終電後の駅で夜露を凌いだ旅行者も多くいましたが、大らかな時代の遺物になりかけています。
峠駅の役割
峠駅のホームにやってきました。奥が福島方面、手前が米沢方面です。標高は626mで、駅の名前のとおり板谷峠の最高地点に設けられているため、線路はいずれの方面にも下っていくように敷設されています。
国内各地にたくさん存在するいわゆる峠の駅(富士急行の三つ峠駅、美祢線の湯ノ峠駅、そして留萌本線の旧 峠下駅など)の中で、余計な修飾語を伴わずに峠を名乗ることができる峠駅。なぜこの名前を持つに至ったのかは明確な記録は見つからないのですが、考えるに3つの理由が考えられるでしょう。
① 峠そのものに駅がある。
そもそもこの場所自体が峠。路線内の最高地点に設けられているのは大きいでしょう。
② 峠の駅の中で最も歴史がある。
峠駅の開業は1899年(明治32年)と、鉄道の大動脈となるような路線が国内各地に拡がりつつあった鉄道の歴史においても比較的早い時期の開業でした。当時、他に峠駅を名乗る駅がなく、特別に地名を付する必要がなかったのだと思われます。
③ 鉄道のための駅だった
鉄道が休息するための駅だったのもポイントでしょう。通常、蒸気機関車に物資や旅客を乗せることが鉄道駅の役割ですが、峠駅は坂道を登り切っていわば空腹気味の列車たちに石炭や水を積み込み、峠の後半戦に備えてもらう場所でありました。そのため、駅周辺に地名を拝借できるような集落があるわけではなかったため、純粋に峠と名乗ることにしたのかもしれません。
スイッチバック機構が廃され、その役目を終えたように思えた峠駅でありますが、開業から100年近い歴史の中で新たな使命を負うようになっていきます。
この日はお盆期間だったのですが、13:20発 米沢行きの普通列車はなかなかの利用状況です。2004年(平成16年)時点の1日当たりの乗車人員数は10人なので、この列車は平均を押し上げているんでしょう。とはいえ、想像以上の利用状況で正直びっくりしました。
来訪者の多くは、峠駅付近にある2つの秘湯、滑川温泉 福島屋さんと姥湯温泉 桝形屋さんの利用者と思われます。中にはスーツケースを持ったアジア系の観光客の方もいらしてびっくり!秘湯へは各旅館の送迎バスで向かっていきます。実は峠駅ですが、1975年(昭和47年)までは滑川鉱山で採掘される鉄鉱石の積み出し駅としても賑わっていました。豊かな地下資源の上に立つ峠駅は現在、秘湯に向かう拠点としての役割も峠駅が担っています。
そしてもう1つはやはりこちらでしょう。名物、峠の力餅。駅での立ち売りは明治期以来の鉄道文化です。
明治から残る鉄道文化
峠の力餅は、ホーム上と駅前の峠の茶屋で販売される名物です。峠駅は、今なおホーム上での立ち売りを続ける駅であり、その姿は見ておきたいというのもありました。売れないこともあるようですが、この日は1列車で2~3名の方が購入されていたように見え、嬉しく、安心もしたそんな瞬間でありました。力餅は1箱 1,000円。列車の最後尾近辺での販売となっています。
現在、力餅が購入できるのは、峠駅のホーム上と駅前の店舗の2箇所のみ。ドライブインや各地の駅弁大会などに参加する峠の名物も多い中で、今なお鉄道駅に根づいた商いをなされています。正直、心配にもなりながら、その想いに心動かされるわけです。
峠駅前に店舗はあります。かつては各地の観光地に見られた食堂やお土産さんの雰囲気があって懐かしいです。
駅周辺の人家は2軒、10人が住むのみとなっています。店主駅前にある売店は90年代の映像では現役だったことが確認できますが、現在はその役目を果たして来訪者を見守ってくれています。
恐る恐る店舗を尋ねると先客が1名。なのに何やら賑やかで楽しげな雰囲気です。店内はテーブル席が5つばかり。壁には先代の店主が書かれたという峠駅周辺の絵画が飾られています。
店主のお子さんか、もしくは遊びに来たお孫さんでしょうか。ともかくお盆に親戚を尋ねたようなあの感覚が思い出されます。夏休みかぁ。30を越えた筆者には染みるものがあります。
様々なメニューに目移りしますが、やはり力餅!ミックス餅 900円を頂くことにします。これも懐かしい味がして、幼いころに参加した町内会の餅つき大会を思い出してしまいます。ご馳走さまです。
駅頭でも販売されている?8個入りの力餅も頂きます。生地にこしあんが包まれた素朴なお餅でなかなかの食べ応えがあります。峠越えのお供にはもってこいですな。
峠の茶屋のHPには店主の駅での立ち売りにこだわる思いが熱く綴られています。峠居人とご自身を紹介されているとおり、幼少から峠駅前で暮らし、通学は毎日奥羽本線を利用していたという店主は、日々親御さんが駅頭で働く姿と、力餅を求めるお客さんの姿を眺めて育ってきたといいます。力餅の立ち売りはご自身の一部なのでしょう。
手向けが転じた峠。先人たちがこれから、これまでの安全を祈ったように、過去に想いを馳せ、これから大切にしていきたいものと向き合えるのがこの峠駅なのかもしれません。
おしまい
峠の力餅の買い方
峠の茶屋の営業時間
7:30~18:00
※降雪期(11月中旬~4月中旬)は、道路・線路の降雪状況によって営業。力餅の販売のみで飲食の提供はなし
立ち売りの実施時間
- 平日 峠駅を8:00~18:00台に発着する列車の到着時
- 休日 峠駅を7:00~18:00台に発着する列車の到着時
※2024年12月時点 『旅と鉄道』(イカロス出版)2024年12月号から一部引用
※前日までは予約も可能なようです。いずれも詳細は峠の茶屋HPをご覧ください。
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アクセス
- 車:米沢から国道で約45分、福島から約1時間
- 電車:山形新幹線 福島駅から奥羽本線(山形線)で約30分、米沢駅から約20分
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