道頓堀と近代建築に溢れる大阪城公園・北浜・中之島地区-大阪DEEP part4/4

関西

前回はこちら

南海汐見橋駅 都会に取り残された鄙びたターミナル -大阪DEEP part3/4
前回はこちら 取り残された本線 南海電車の住吉大社駅から大阪の中心部へ戻り、降りたのがこちら 関西空港・和歌山方面へ向かう南海線と高野山方面へ向かう高野線の分岐駅です。難波からやってきた列車たちは、この駅でそれぞれの方面...

道頓堀へ

汐見橋駅を後にし、道頓堀へやってきました。汐見橋駅がかつて道頓堀駅という名前だったように、徒歩ですぐの場所にあります。この距離感にも関わらず寂れ切った汐見橋駅はやはり不思議。にしてもさすがの賑わいですねぇ道頓堀

金龍ラーメン

ミナミを代表するラーメン屋さん。金龍ラーメン店内ラーメンとスーパードライを頼まざるをえません笑 正直とても旨いとかではありませんが、雰囲気や提供の早さが素晴らしい。飲み会の後はさぞ繁盛することでしょうな。

道頓堀のスパイダーマン

素敵なお尻を眺め、道頓堀をあとにします。(なにしに来たんだ)

意地でも立ち退かなかったんでしょうねぇ。雑居ビルが誇らしげに佇んでいます。歩き疲れたので自販機で飲み物を・・・

異常に安い自動販売機

おや!?

物価が昭和。ペットボトル30円は初めての出会い。闇が深いですよ

大阪城公園

すこーし歩いて地下鉄に乗ってやってきましたのは、大阪城公園。歴史の教科書で初めて大阪の名前が出てくるのは、この大阪城の築城のタイミングではないでしょうか。大阪の街と共に歩んできたシンボルを少し覗いてみようと思いますよ。

大阪城公園の落ち葉で作られた笑顔

笑顔でお出迎えいただ上に

大阪城公園の落ち葉で作られたILOVEYOU

愛の告白まで。やだ、こんな人前で恥ずかしいじゃない照
と、ふざけていたら

大阪城公園の鷹匠

!!!

 

大阪城公園の鷹匠

!!!!!!

鷹匠ってやつですか。おじさまがたが数人キャンプ用の椅子に腰かけ、こんな状態で談笑していました。大阪おそるべし

大阪城の堀

お堀をいく遊覧船と石垣を見比べてみてください。ここまで立派な石垣を持ったお城もなかなかないですよね。秀吉の気合いの入れっぷりが伝わってきます・・・と思ったら、現在この地で見られる遺構はすべて江戸期の徳川家によって築かれたものだとか。豊臣家時代の遺構は、徳川家によってほとんど破壊されてしまったようです。

大阪城天守閣と第4師団司令部

天守閣の近くまでやってきました。1585年に秀吉によって築かれた天守閣は、1615年の大阪夏の陣で焼失します。

その後、徳川家の手によって、1626年に再建されますが、落雷により1665年に再度焼失。以後、再建されずに来ていましたが、昭和御大典記念事業、昭和天皇の即位記念事業として、大阪市主導で、1931年再々度竣工します。この時、市民へ寄付を募ったところ、あっという間に再建費用が集まっただけでなく、余ってしまったので、右手に見える陸軍第四師団司令部まで整備できてしまったとのこと。大阪のシンボルとはいえ凄まじいエネルギーです。

陸軍第4師団司令部

ふつくしい。現在はミライザ大阪城というレストランなんかが入った商業施設になっていて

ミライザ大阪城屋内

自由に出入りすることもできますよ。

豊國神社

城内には豊臣家を祀った豊國(ほうこく)神社

蛸石

そして驚きの大きさのこちらが蛸石と呼ばれる超巨大石垣。右手の人影と比べていただくとその大きさが際立ちます。重さは推定130トン・・・どうやって運んだのよこれ。

大阪城 櫓

創建当時と姿は変わっているとはいえ、スケールと積み上げられてきた歴史を感じられる大阪城公園。とても見ごたえがありました。コンクリ製の天守ということで、正直見くびっていたところがあったのですが、訪れて良かったです。

大阪城とビル

これかも大阪のシンボルとして、この街の変化を、変わらず見守り続けてもらいたいところです。

思わぬ近代建築祭

大阪城公園のトイレ

お堀脇のスタイリッシュなお手洗いで用をたし

大阪府庁舎

お堀端に佇む大阪府庁舎。1926年に建てられたものですが、未だに現役。移転計画は何度か出ては、財政難、震災なんかで頓挫が続いているとのこと。

大阪砲兵工廠跡

さらにすすむと見えてくるのがこちら 大阪砲兵工廠跡
戦前に稼働していた国内を飛び越え東洋でも最大級の軍需工場で、戦車や大砲だけでなく、靖国神社の大鳥居なんかもつくっていたとか

出典:Wikipedia

桃色の網掛け部分がかつての砲兵工廠の跡地。6万人近くが勤務していたというとんでもない規模感。戦前の大阪は陸軍の街だったんですなぁ。跡地は整備され、ホールや大阪環状線の車庫として活用されておりますが、建物が一部現存しております。

大阪砲兵工廠跡

化学分析室という建物だったこちら。戦後80年近くたちますが、一時的に自衛隊が利用した期間を除いて、放置され続けています。戦中の空襲時の不発弾なんかが大量にあるようで、なかなか手が付けられないという噂。

ついこの間、広島の被服支廠跡の保存・取り壊しが話題になりましたが、こちらも取り壊しという話がでれば、同じような議論になりそうです。

大阪砲兵工廠跡 守礼所跡

こちらは詰め所跡。トイレとして利用されたのち、放置されています。レンガが崩れかけており、崩壊も時間の問題

大阪砲兵工廠跡と大阪城

大阪城と共に。大阪の歴史を現代に伝える遺産として保存し、公開していってもらいたいところですな。

北浜・中之島はおしゃれな街

中之島公園 剣先噴水

一日かけて大阪市内を堪能してきましが、いよいよラスト、中之島へやってきました。リバーサイドに新旧の美しい建物が並ぶ、素敵な場所のイメージ。期待が膨らみます。

淀川から分岐した大川とそこからさらに分岐した土佐堀川にはさまれ、ちょうど島状になっているのが中之島エリア。その東端にはご覧のような噴水が

ルポンドシエルビル

リバーサイドに建つルポンドシエルビル。実はこちらは大手ゼネコン大林組の旧本社。1926年の竣工。

にしても大阪は歩くだけでやたら近代建築に出会うことができますなぁ。空襲の被害が東京ほど大きくなかったのでしょうか。その中でもこの辺りの北浜地区には特に多く残っているようです。

旧大林組本社

北浜レトロビルヂング

こちらは北浜レトロビルヂング

1912年の竣工。100年選手です。証券の仲介業者の事務所だったようですが、現在は本格的なカフェが入っていて、なかなか素敵な空間だとか。次回は行ってみたいところ

大阪証券取引所

その近くにあるのが大阪取引所。建物は1935年の竣工。入り口前に建つのは、薩摩出身で、こちらの開所に尽力したデイーンフジオ・・代 友厚の像。東の兜町、西の北浜と呼ばれ、取引の中心地であります。そして北浜から橋を渡り、中之島へ上陸すると見えてくるのが

中ノ島公会堂

この地のシンボル的存在の大阪市中央公会堂

こちらは1911年の竣工。圧倒的存在感。装飾、や色合いなんですかね、それとも立地?北浜で財を成した株式仲介人の岩本 栄之助という人物の寄付によって建てられました。渡米先で目の当たりにした旺盛な慈善事業に感銘を受けた彼は、下降気味だった中之島を活性化しようと私財を投じ、本公会堂を建設してしまいました。

そんな彼の想いがあったからなのか、中之島は大阪でも高層ビル群が立ち並ぶエリアとなり、この公会堂も街の象徴として現在も佇んでおります。良い話だ。

府立中之島図書館

そしてこの旅を〆るのがこちらの大阪府立中之島図書館

竣工はこれまで紹介した建築で最も古い1904年!!そしてこちらも関西に軸足を置いて、財を成した住友財閥の住友家の寄付によって建てられました。岩本栄之助の話といい、大阪商人の懐は底なしに深いですなぁ。と、ここで日没

難波にはじまり、この中之島まで大阪市内を縦横断したわけですが、大阪の多様性に驚かされた1日でした。難波から道頓堀にかけての散策では、庶民的なありのままの人間の姿を、そして大阪城公園からこの中之島までは、浮世離れした権力者・富豪たちの立ち振る舞いを見られた気がします。ただそのいずれにも、情に溢れた大阪の気風を感じました。奥深い大阪、大阪DEEPを堪能した一日でしたとさ。

おしまい

 

 

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