今回は港町 横浜の港湾エリアに着目して散策してみます。
といっても、世に知られるみなとみらいエリアではなく、その北西の東神奈川~横浜駅にかけてのエリアです。そのきっかけとなったのはこちらのニュース
米軍機のオスプレイが横浜のノースドックと呼ばれる米軍管轄エリアに駐機しているというもの。まさかこんな場所に米軍関係施設があるとは知らず、その様子を見てみたいと思い、行ってみた次第です。思い立ったが吉日。いきましょう!
東神奈川から
というわけでやってきました東神奈川駅。京浜東北線から横浜線が分岐していく要衝の駅。駅にはお店がたくさん。住みやすそうな街ですねぇ
神奈川に来たと実感させられます。歌川広重の東海道五十三次神奈川宿です。奥に二つのこぶが見えますが、奥のこぶが、現在、港の見える丘公園のある場所だそう。
今の横浜からは想像できない風景。街道脇の家々からの眺めはさぞ良かったんでしょうなぁ
目指す横浜ノースドックはこの瑞穂ふ頭にあります。
元となった港湾施設は、1925年に着工し、20年後の45年にやっとこさ完成しました。ところが翌46年には米軍に接収、現在に至っております。建設に当たった人々は無念だったでしょうなぁ。「瑞穂」ふ頭という名前は、戦時の国粋主義的な香りがしますねぇ
東京と横浜を結ぶ裏本線
東神奈川駅から横浜ノースドックまでは一本道で、その道中、京急線とこの高島線を越えていきます。3本の線路からなる立派な鉄路。鶴見駅から桜木町駅を結んでいるJRの貨物線 高島線です。今回の散策は、この高島線に沿って進んでまいります。
上の簡略図で横浜駅付近をご覧いただければと思いますが、運行本数の多い横浜駅を避けるため、貨物線が旅客線よりも海側を短絡して結んでいます。これが高島線です。
そして、ここで興味深いのはこの路線の管理者がJR貨物ではなく、JR東日本ということ。
旅客を運ぶわけでもないこの路線をJR東が?はてはて?
そのヒントになりそうな資料がこちら↓
これは政府に対し、交通の専門家たちが、これからの東京圏に必要なネットワークを協議して、国へ答申と呼ばれる言わばアドバイスをするためにまとめた資料。
これによれば、東海道貨物線(小サイトのこちらもご参照ください。)、鶴見線、そしてこの高島線を旅客化した上で1本で結んで、東海道線のバイパスの機能を持たせる計画があることが分かります。つまり推測の域を出ませんが
JR東はこの時が来るまでは、本路線を所有しておこうという算段
なのではないかと考えられます。あくまで憶測ですが、JR東が貨物列車しか通らない本路線を所有し続けるメリットはありません。ですから、先を見据えての保有しか考えられません。この路線の上流部は現在、国の予算も用いて羽田アクセス線としてその姿を変えようとしている区間。
もし完成が実現すれば、その次のステップとして、混雑が激しい東海道線の停車駅を絞った速達バイパス路線として整備すれば、非常に需要がありそうなルートです。今後、京浜工業地帯を貫く貨物線の動向は注目です。
踏切を越えると、年季のいった三井倉庫。港の雰囲気が出てきました。この向かい側には
どう見ても普通でない看板
傍から見るとただの配送拠点ですが、ここが目的地 横浜ノースドックなのです。ただ、飛び地のようになっているようで
この資料で北西にあるオレンジ色で網掛けされた小さな区域が先ほどのただならぬエリアです。ここから進んでいくと橋があり、その先が横浜ノースドックのメインとなるエリアになります。ただ、立ち入りができるのは橋の手前まで。とはいえせっかくなので、ギリギリまで攻めてみようと思います。
貨物線がノースドックに向かって伸びています。これは先ほどの高島線から、ノースドックにあった瑞穂駅を結んでいた瑞穂支線。今は使われていませんが
会社の門として活躍中 笑
そして
人気のない瑞穂ふ頭には
着いたー!!
ここが横浜ノースドック入口。この瑞穂橋より先はいわば米軍の居留地(厳密には一部地域は日本の民間企業が利用していますが)。近づくなと言わんばかり、至る所にKEEP OUT。そのあまりのしつこさのせいか
それに抗う人物もいたようで・・・笑
看板をちぎるなんて・・・強い反抗の意思を感じますねぇ
橋の脇には貨物線の橋も。豊洲の東京都港湾局の廃線跡を彷彿とさせる廃鉄橋です。異様な雰囲気なノースドック入口ですが、実はもう一つ見所があります。それがこちら
Bar?
米兵を相手にしているであろうお店ですが、どこかで見覚えが・・・そんな方は、おそらく筆者と同世代なんじゃないでしょうか。かつてこの場所で踊り狂ったミュージs・・・もとい、エンターテイナーがいたんです。
激しく踊っています笑
たしかに人通りは少ないから、このくらいやっても恥ずかしくありません。まぁ彼らにはそんなこと関係ないでしょうが笑 ちなみに夜はBARとして絶賛営業中。夜に再訪するのも楽しそうですねぇ。
人気のない夜の湾岸地域の非日常的雰囲気は筆者の大好物
てなわけで、異様な瑞穂ふ頭入口を堪能しましたんで、このまま横浜方面を散策しようと思います。オスプレイが見られるかとちょーと期待しましたが、さすがに叶わず。
先ほどの三井倉庫を別の角度から。ここだけ昭和の光景であります。
まだ使われているのか?と疑いたくなる佇まいですが、立派な設備です。
ここで再び高島線。先ほどの踏切から桜木町寄りにある隣の踏切です。
東高島駅跡地
振り返って桜木町方面を眺めると東高島駅があります。駅と言っても荷物の駅、貨物駅なわけですが、2005年以降は貨物の取り扱いもされておりません。
使用されなくなったためか駐車場として活用されている様子
この向かい側には
!!!
こういう出会いがあるからお散歩は止められませんね。廃線となった橋梁でしょう。
しっかりレールも残っていて、雰囲気もありますな。橋梁は先述の東高島駅と東神奈川駅を結んでいた貨物線が通っていたようです。と、そんな風に遊んでいると
お、EF65のPF原色!いつまで見られるでしょうかね
ハイソな街並み コットンハーバー
湾港地域として独特の近寄りがたい雰囲気がある本エリアですが、さすがおしゃれな街 横浜。
人は海の見える場所に住みたがるんですよね。豊洲しかり、ここしかり。高層マンションがにょきにょきと生えています。こちらはコットンハーバーと呼ばれるエリア。2000年代中盤に再開発がなされたよう・・・ですが、
どうやらこちらの隣の敷地に新たな高層マンションが計画されており、それに対して住民が反対している模様。まぁ気持ちもわかりますが、自分たちも高層マンションに住んでおきながらこの書きっぷりはどうなんですかねぇ。よそ者で庶民の私には関係ない話ではありますが、あまり良いイメージは持てませぬぞ。
そのコットンハーバー地区にある、やたら湾曲している珍物件。この建物が鉄道用地に沿うように建てられているため、このような緩やかな曲線を描いています。
地図で見てもらうと一目瞭然。ヲタクはあるレベルになると、街中にあるちょっとした違和感から鉄の香りを嗅ぎつけることができるようになります。
こちらにも貨物駅跡地を利用した駐車場。そして隣接する星の町公園には、
ここは、勝海舟が築いたと言われる神奈川台場の跡が残ります。
正直、訪れるまでその存在を知らなかったのですが、1861年、横浜港の入口に自営施設として設けられ、開校間もない日本を守ったようです。こちらのサイトが詳しいので参考に張り付けておきます。
どうやらこの石垣も当時の雰囲気を伝えてくれる貴重な史跡のようです。この場所が海だったとは今からは想像もつきません
この東高島駅も元々は海だったエリア。
現代では海を埋めるなんて、自然保護の観点なんかでそう簡単にはいかないんでしょうが、
当時は殖産興業富国強兵ですから、なりふり構わずやっていたんでしょうな。そんな今とのギャップを感じられる京浜工業地帯、やはり興味深いものがあります。さらに横浜方面へ歩いていきますと
ド、ドックだ・・・
横浜の造船所といえば、現在のみなとみらい地区にあった三菱重工の造船所が有名で、現在はさらに南方の本牧地区で稼働しています。が、この場所はいずれからも離れています。これは、この界隈の歴史を紐解くと必ず登場する浅野総一郎が設立した浅野造船所にルーツを持つ通称浅野ドック跡。
以前はいくつかのドックがあったようですが、浅野財閥を離れ、日本鋼管と合流した後、1995年に使用を停止。跡地が先ほどのコットンハーバーとして再開発され、ドックの遺構はこの場所だけに残されたようです。立派な史跡であるはずですが、看板も何もないので通り過ぎるところでした。
簡素な作りですがこちらも歴史がありそうな佇まい。調べてみましたがなにも情報が出てこず。
浅野ドックの背面にあるのが横浜市中央卸売市場。先ほど紹介した歪曲した物件は、東高島駅からこの場所に向かう貨物線に沿うように建っていたようです。
こちらの建物はまもなく取り壊しがされるんだとか
市場関係者に絞った歯医者さん?それとも歯科医師の市場さんがやっていたりして
これだけの施設を市営でやれてしまうのだから横浜市はすごいですね。神奈川県庁より力があるとは耳にしていましたが、あながち間違いでもなさそう。中央卸売市場とはなんぞやという感じですが、こちらの築地市場に関する記事で紹介しておりますので、良ければご参考にしてください。
鉛色の空と運河。工場地帯らしいといってしまえばそう?
市場の北西へ少し行くと、市場関係者を相手にしていたと思われる店舗の廃墟群が。どうしてこうなってしまったんでしょうか
三たび高島線と遭遇。
この先の桜木町方面で3本の線路が1本に集約されています。
かつては、ここから進んだ先に高島駅というところがあり、広大なヤードを抱えていたのですが、廃止され、現在は線路が通過するのみ。そのため高島駅まで延びていた側線が1本に削減されてしまったようです。
踏切監視員の小屋の跡でしょうか
踏切を越えても廃墟群が。この状態で放置されているのは何かしら理由があるんでしょうね
妖怪 蔦じゃらし(筆者命名)
ここの面白いのは、道路を挟むと対照的な光景が広がっておりまして
なんというリッチな響き
道路がなにかの境界線のようです。
横浜の過去から未来へ
さらに進むと、いよいよ港や工場の街横浜の印象をぬぐってきた、現在のこの街の主役達が見えてきました。すっかり小奇麗な街並みになったものです。ここ十何年で横浜のイメージもだいぶ変わってきたことでしょう。
ここが先ほど紹介した高島駅跡地。1986年まで稼働していたようですが、現在は高島水際線公園として整備されています。広大なヤードがあったことがわかります。
横浜駅から徒歩15分程度の好立地ににも関わらず、開発が進んでいないのはもったいないですねぇ
先ほどの写真の反対側、トンネルをくぐって桜木町まで向かっています。この辺りの路盤が比較的新しいのは、元々地上にあった線路を再開発のために地下へ潜らせる工事行ったため。
小さな漁港だった神奈川・横浜は、黒船襲来、そして維新、殖産興業を推進力にものすごい勢いで変化を続け、日本が誇る港湾都市になりました。
そしてその変化の勢いは変わらず、「港」の街から、「みなと」の街へ変わりつつあります。その変化の大きさが、この街に深みを与え、より魅力的な雰囲気にしている、そんな気がします。
やっちゃえ
歌川広重の浮世絵に始まり、鄙びた工場群、産業遺産を経て、この超近代的な場所に至りました。散策をしながら、知らず知らずのうちにタイムスリップをしていくような、そんな心地を味わえた散策で、横浜の奥深さ、懐の深さに触れられました。この街は今後も時代時代に合わせて変化を続け、人々に愛されることでしょう。
そして、今回の散策だけではまだまだ物足りない感じもしている筆者。また行くしかないなぁ。きっかけになったオスプレイありがとう。
おしまい。
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