大阪府 富田林と滋賀県 近江八幡をゆく 寺内町と城下町散策【関西重伝建地獄】

関西

前回に引き続き、関西地区の重伝建を見ていきますよこの旅も三日目となりました。脇目を振らずひたすら重伝建。ちょうど友人から連絡があり

関西でなにしてるんだー?

となったのですが、答えに窮することに笑 普通の人は、関西で3日もかけて街並み巡りなどせんですもの。とはいえ、「古い街並み」という共通点はあれど、どの街も成り立ちは全く違うわけで、見れば見るほど沼にはまっていくような、そんな感覚を覚えます。

富田林に行ってきとんだ

まずはこちら!

大阪府のお尻あたりに位置する富田林(とんだばやし)です。

近鉄と南海が通る、大阪市内へのベッドタウンとして、賑わう街です。また、この街には、甲子園となれば、必ず話題に上がる、あのPL学園が存在しています。有名な塔なんかもあるのですが、今回はあくまで重伝建。初志貫徹で行きますよ。

富田林重伝建

富田林の成り立ちは、戦国時代末に遡ります。一向宗(浄土真宗)興生寺別院を中心として築かれた宗教自治都市であり、いわば「人工的に」開発された地域でした。こちらも前回紹介した奈良県今井町同様、寺内町に分類されます。

この時期は、ちょう織田信長が天下統一に向けて勢力を拡大していたタイミング。一方で一向宗勢力も負けじ劣らず、その宗教的結びつきの下、武装化し、影響力を強めていました。そして、ほどなくして両者は衝突。長い戦いを経て、信長の「勝利」に終わるのですが、手を焼きに焼いたその経験から、彼の中にトラウマを残すことになります。

富田林寺内町

そんなこともあり、一部の一向宗勢力はその自治を認められることになりました。信長側も完全に制圧するには多くの犠牲を払わねばなりません。こうして一向宗勢力は、戦に負けたものの、以後もその営みを保ったという点では、勝負に勝つことになりました。そして、この富田林もそのようにして戦国の世を越えてゆきました。

その後、江戸期には、こちらも奈良県寺内町同様、天領となり、幕府の加護の下で、商業都市として隆盛を極めたようです。

ここからはあくまで私見ですが、江戸期において、幕府の天領となる場所は、長崎のように交易の拠点であったり、佐渡島のように鉱物資源に恵まれていたりとした場所だったわけですが、そうした都市に比べると、幕府がこの富田林を押さえるメリットが、そこまであるようには思えません。なので、信長同様、その特権を認めることで、幕府への恭順を促し、幕府体制の安定化を図ったのではないでしょうか。

時代時代の政権に、インパクトを持ち続けた一向宗勢力。日本の歴史を紐解く上で、その特異な立ち位置は、非常に興味深いです。

近江の商人

続いてやってきたのは、滋賀県近江八幡(おうみはちまん)

滋賀県南部に位置する近江八幡は、琵琶湖に面し、大阪・京都から北陸、名古屋方面へ向かうルート上に存在する交通の要衝の地です。まずはこの街の成り立ちを

近江八幡京街道

近江八幡の紹介には、豊臣秀次の存在は欠かすことができないでしょう。

後に豊臣秀吉から家督を継ぐことになる彼は、各地での戦果が認められ、この近江八幡の地を治めるようになります。山の上に八幡山城を築き、眼下の城下町では、碁盤目状の区画を整備し、各地から商人を招聘するとともに、琵琶湖に近い地の利を活かし、交易の拠点とすべく、水路を整備します。

八幡堀

それがこの八幡堀

現在でも近江八幡のシンボルでもあります。現在の運河は、観光資源であったり、生活用水を流すための存在くらいにしか思えませんが、車も鉄道もない時代においては、物資を大量にかつ迅速に運ぶための重要な輸送インフラでした。

そして、その存在の有無は、その土地の賑わいにも影響を与えます。物の仕入れと販売にもってこいなのが、この運河。商人は集い、そこに生活が生まれます。近江八幡は、こうして商業都市として、今日まであり続けています。

八幡堀

現在は遊歩道として整備されている八幡堀。水辺に行くと、どうしてか気持ちが落ち着きますよねえ。あの心情に名前をつけたいところ。

八幡堀滋賀県

今や観光客でにぎわう八幡堀ですが、戦後になると、街中に張り巡らされた

このような用水路を通じて、八幡堀に生活用水が流れ込み、それは臭く、汚く、ひどいもんだったんだとか。

埋め立てて、駐車場にしちまおうぜ!

という計画が実現寸前までいったようですが、そんな時、ふるさとのお堀を誇りに思う地元の若者が立ち上がり、現在の姿になっているんだとか。おじさん涙です。

そんな素晴らしい若者たちを育んだ諸先輩方。八幡堀を活用して商いを営んであろう人々。それを遡っていけば、中世から近代にかけて活躍した近江商人に辿り着くことでしょう。

売り手によし、買い手によし、世間によし

近江商人を知らずとも、この言葉を耳にしたことがある方はいるんじゃないでしょうか。
三方よしと呼ばれるこの表現は、近江商人の商売理念を表しており、商いを通じてた公利の追及を是とする哲学です。

前述のように、琵琶湖を擁し、街道筋にあった近江国は、昔から多くの人々が行き交い、商いも盛んに行われてきました。そこで商才を育んだ近江商人は全国で活躍。また、後輩を大切に育てたこともあり、その名が次第に全国に轟いていきました。

西武鉄道髙島屋布団の西川、そして伊藤忠商事

これらはいずれも近江商人をルーツに持つ企業。彼らの理念は、現在まで脈々と受け継がれてきているのですねぇ。

近江八幡の新しい住人

そんな近江八幡には、昨今、新しい住民が増えているようですよ。

その名も飛び出し坊や

滋賀県八日市出身の彼ら。
けれどもかわいい顔に騙されてはいけません。道路を行き交う車に轢かれるか轢かれないかという絶妙な場所を住処とし、日々ドライバーたちに圧力をかける狡猾な集団です。

始祖は、0系と呼ばれる彼(写真はwikipediaより拝借)

0系は、漫画家のみうらじゅん氏による命名ですが、未だに彼の本当の名を知る者はいません。
勢力を拡大していった0系ですが、同時に、ドライバーたちも赤い長袖、オレンジ色のパンツの彼を見かければ、

あぁなんだ、0系か

と認知し、再びストレスフリーで運転するようになりました。そんな態度に腹を立てた彼らは、新たな策に出ることにしました。それがこちら

近江八幡の飛び出し坊や

近江牛を被ったり

今度はロープウエイから飛び出そうとしてみたり

挙句、喋ってみたりと。。もはや彼らの活動を止めることはできません。今や近江八幡の至る所で見かけることができる彼ら。その変装ぶりをしっかり頭に入れておきましょう。

つづく

【関西重伝建地獄】近江商人を輩出した五箇荘と城下町 彦根をゆく
前回はこちらまだまだ重伝建いきますよ。みんな違ってみんな良いのです。今度はこちら今日なん箇所目?ごかしょう目だいいえ、3か所目です笑滋賀県東近江市にある五箇荘金堂(ごかしょうこんどう)地区です。前回の近江八幡市同様、近江...

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