佐渡日帰り旅 華金後にゆく黄金島 ~巨大遺構編~

東海・甲信越

前回はこちら

佐渡金山 道遊坑で近代日本経済の礎に触れる
前回はこちら 穴があったら入りたい 大立竪坑から数百m下り、佐渡金山の拠点地域にやってきました。売店や入場券売り場、駐車場があり、まずはこの場所から観光するのが一般的でしょう。 朝10時と早いことから観光客はまばらです。...

長いトンネルを抜けると

道遊坑出口。何層にも石材で固められ安心感がある。

歩いて15分ほどでしょうか、出口にやってきました。まだ目が慣れません。

佐渡金山のトロッコ車庫

出口にはトロッコの車庫跡

現在は当時の機材などの展示場となっています。建屋はかなり年季が入っていて乙な雰囲気です。平成元年に現役引退。羽振りがよさげな金山ですが、建物は大切に使っていたんですねぇ。

ガラスのスリーダイヤマーク

これは。

佐渡金山は1896(明治29)年に三菱へ払い下げされた。ガラスのマークは盗難防止を狙ったものらしい。

建物内

往年の名役者たちが居並んでおり、心なしか古くなった油のにおいが。渋い展示です。

佐渡金山の転車台

トロッコ用の転車台

動きましたこれ。鉄道好きとしては嬉しい展示。クロッシングポイントも珍しい存在です。
機関車はモーターと充電池を動力源とし、1日の勤務が終わるとこの車庫で充電をしていたようです。現代的なエコな仕様です。

トロッコ車庫

鉱山跡のマネキン氏は精巧。ぎょっとすることが多い。

お祭りなどでみかけるミニSLのイメージに近いでしょうか。
小さいころ滅多に乗せれもらえなかったな←

こんな具合で佐渡金山の展示は往年がイメージできるように工夫が凝らされており関心してしまいました。他にも例えば、

鉱山の装備

山の男たち。かっこいいじゃないか。

耳栓の代わりにティッシュを詰めて使ったのは面白いです。背景には、今と変わらずの道遊の割戸。

鉱山の一日

山の一日。アフターは存分に楽しめそうだ。

かつては国内各地で見られ、映画などの題材にもなった生活も今や過去のもの。
日本が資源で潤った時代があったとは隔世の感です。

車庫脇には高任竪坑を記念したレプリカ

奥に口をあけているのが高任抗。雨天時のみ通行可能で、出口までを短絡しています。

そして、ここから少し登っていくと、道遊の割戸が間近で見れるというじゃないですか。ちょっと行ってみます。

道中は、砂利の坂道。軽い登山気分で数分間、足への刺激を楽しみます。

丘上に建つ高任神社

この神社は、相川下山ノ神町にある鉱山の総鎮守「大山祇神社」の分社です。
明治時代の初代佐渡鉱山局長 大島 高任の偉業を称え、この一帯が「高任地区」と呼ばれていることから、この神社も「高任神社」と命名されました。

この神社を越えてゆくと、

道遊の割戸

道遊の割どーーーん

道遊の割戸

江戸期に開けられたというから、人の欲というのはすごいものだ。

丘を下り、再び車庫付近まで戻ります。

佐渡金山の廃墟

朽ちた建物。人知れずに消えていった鉱山の歴史も多いのだろう。

例えばこの上相川も時代に飲まれていった街並みのようだ。

大まかなイメージですが、

上相川と相川の位置図

新しい相川の街並みは海に近い。

新たな相川は、濁川の台地上で土地が広く、何より海へのアクセスが至便です。
職住近接から次第に職住分離に重きが置かれていったのでしょうか。

雨が降ってきました。順路に戻ります。

道遊の割戸

何度見てもオカシナ眺めである。

鉱石が岩盤から旅立つとき

地面に残るレールに導かれ台地の縁にやってきました。

レールの先には

カーダンパー

この円柱の枠組みに鉱石が積まれた貨車をおさめ、回転させて車両ごと天地返しをするための装置です。
貨車に積まれた鉱石は、重力に従って落下します。

ちょっと下を覗いてみると、

どこかへ運ばれそうな雰囲気。

落下した鉱石は、眼下で破砕。ベルトコンベヤーで倉庫に保存の上、

鉱物の含有が乏しい功績は搗鉱(とうこう)場へ運ばれた。詳細は後述。

佐渡金山の無蓋車

天地返しを待つ貨車たち

佐渡金山のトロッコ

その日は二度と来ない

惣徳新抗、道遊坑コースの出口でもある。

これにて前回からの道遊抗コースが終了。所要時間は60分ほどでした。

コースの最後にはお土産屋が待ち受ける

お土産屋の出口。最後まで気が抜けない。

ここからは先ほど眼下に見た施設群を見に行きます。お土産屋から道を数分下っていきます。

こんどは施設群を見上げてみる。

高任粗砕場。上に見えるのが先述のカーダンパー。

1937(昭和12)年から平成元年まで使用されました。落下してきた鉱石を破砕し、ベルトコンベヤーに載せて、

高任貯鉱舎

この貯鉱舎で保管されました。当時の構造物から工程を追えるのが面白いです。

三菱のスリーダイヤと「佐渡鉱山」の文字が嬉しい

保存された鉱石は、搗鉱場の他、トロッコに載せられ後述の北沢浮遊選鉱場にも運ばれました。一階部分の空洞は、トロッコが入線する空間だったのでしょう。

中尾変電所跡

間ノ山上橋(あいのやまかみばし)

沿岸に金山施設を有する濁川に架かっています。

明治期に造られた石橋。現存するものは珍しいようだ。

精錬、それは鉱石が輝くとき

施設群から道路を隔てて存在していた間ノ山搗鉱場

間ノ山搗鉱場

鉱山の醍醐味は人為と自然の共演と思う。

間ノ山搗鉱場

映えスポットだが物好きも好むであろう外観。憎いやつだ。

現在見ているのは、1925(大正14)年に造られた基礎部分。1943年(昭和18)年までの18年間という短命な施設だったようですね。

鉱山は、国策や貿易などの外部環境の影響を受けやすく、投資を回収しきれなかった場所も多そうです。

打ち立てのコンクリートにはなく、朽ちたコンクリートを眺めた時だけに湧く感情がある気がします。不完全の美というのか、諸行無常のなんたらか。

最後に、もう一つの精錬先へ。少し距離があるため車での移動です。

道中にある諏訪隧道。貯鉱場とこの後の選鉱場を結んだトロッコの施設。

北沢浮遊選鉱場

選鉱とは、鉱石から不要鉱物を取り除く鉱山での最終工程のこと。

1938(昭和13)年に竣工し、その規模は東洋一を謡われました。戦前の構造物によくある枕詞です。しかし、1952(昭和27)年には、経営悪化により鉱山規模の縮小が決まり、選鉱場も運用停止となりました。わずか14年の活躍でしたが、道遊の割戸と並び、佐渡金山で際立つ存在感を放っています。

北沢浮遊選鉱場のシックナー

球場のような施設はシックナー。工業用水中の不純物を分離していた。

昭和15年以降の北沢浮遊選鉱場

完成当時の様子。それが、

こう。盛者必衰。祇園精舎の鐘の声。

北沢地区施設群の説明看板

つづく

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