2022年9月23日、西九州新幹線開業の裏で、鉄道史に名を刻んでいた肥前山口が静かに時刻表から消えました。今回はその最後の姿をご紹介しつつ、同駅の歴史や改名の背景を紐解いていこうと思います。
早朝の肥前山口駅
本日は2022年5月22日(日)。前日に池島、針尾を満喫し、佐世保に宿泊。薄暮の西九州自動車道を駆けて、肥前山口駅にやって参りました。今日は、ここから長崎本線に乗り込み長崎へ向かい、帰りは廃止予定の特急かもで戻ってくるという予定です。
今回、同駅を取り上げようと思ったのは、この駅が大きな節目を迎えるためです。
肥前山口駅の歴史
長崎と佐世保方面の分岐駅として、ファンのみならず知られていた肥前山口。
その歴史を振り返れば、1898(明治28)年に開業。日清戦争が終結し、日本が近代国家の仲間入りを果たしていくそんな時世に生まれた駅でありました。
1934(昭和9)年に現在の有明海沿いを行く長崎本線が開業。以後、長崎・佐世保へ向かう列車が袂を分かつ交通の要衝となります。往年は、寝台・昼行特急ともに同駅で車両の分割・連結を行っておりました。現在でいうところの東北新幹線の福島や盛岡といったところでしょう。
しかし、新幹線開業でその要衝としての役割を武雄温泉駅に譲るとともに、江北(こうほく)駅とその名を変えることになりました。
山口を譲り、山口を止めるとは
と、この改名を新幹線開業のみで語るわけにはいきません。もう一つ、同駅が所在する佐賀県江北町の町制70周年があります。
きっかけとして、現町長の山田 恭輔氏は就任後の県内出身者の集まりでのやりとりを語っています。
町長 「江北町からやってきました」
佐賀県民「江北町なんてあったっけ?」
町長 「ご存知でしょうか、肥前山口駅のあるところです」
佐賀県民「あー肥前山口!肥前山口!」
開業当初の同駅は山口村に所在する山口駅であったので、そのまま歴史を歩むことになればかような悲劇は起こらずに済んだでしょう。
ただ、1913(大正2)年に現在の山口県に山口駅が開業すると、ややこしい状況がはじまります。
開業に合わせこちらの山口駅が肥前山口駅と改名されてしまうことに。後から並んだ客に先を越されるのに似た悔しさがありますね。理由は定かではありませんが、「山口」としての規模(江戸時代には山口藩が存在した)や新政府に薩長出身者が多かったのもあるのではないでしょうか。
そして、今日のあべこべが生じたのは、1932(昭和7)年。山口村が周辺の村と合併し、江北村となった時からです。以後、肥前山口の名前だけが認知度を上げ、その所在地の江北町は先述の県民にも知られない土地となってしまったのでありました。嗚呼、何たる悲劇。
実際、江北町が博多駅で実施したアンケートによると、駅の認知度が59%に対し、町の認知度は26%だったとか。
さぁ、あなたが町長ならどうしますか?
肥前山口町にしたらどうだ?
こんな意見も出そうですが、旧山口村以外の地域に住む江北町民を納得させるのは難しそうです。
かくして、一部住民の反対もありましたが、新幹線開業と町制70周年に合わせ、
山口の名を譲った駅は、自ら山口としての歩みを止め、新たに江北駅として歩みを始めることになったのでした。
また、同町は70周年記念事業として、ロックバンドのくるりにオリジナル楽曲を書き下ろし依頼しています。その理由として、町の担当者は以下のように語っています。
くるりのメンバー岸田氏は、佐賀への来訪や、楽曲やミュージックビデオで「列車」を題材にした作品が多く存在するなど、本プロモーションにおいて高い親和性を感じており、また、制作する楽曲も懐かしさや新しさを感じられる部分が多くあり、江北町の人の心に響く歌を届けてくれると考えています。
旅情の駅
突然ですが、旅情をそそる駅ってありませんか?
私だと、連絡船を想起させる函館駅、往年を偲ばせる上野駅地平ホーム、最果てにあり開聞岳を望める西大山駅などが思い浮かぶ中、最もしっくり来たのがこの肥前山口駅でした。
最長片道切符の終点。多くの鉄道ファンが北海道の稚内駅からこの「要衝」を目指して旅をしたのです。
目指しながらも、終えたくないという背反する気持ちを抱えていたかもしれませんが。
また、鉄道系Youtuberのスーツ氏が初めて顔出しをした駅でもあります。
彼のデビュー作となる最長往復切符への意気込みを同駅のホーム上で今と変わらない流暢な口調で語っておりますが、まだ撮影に不慣れな様子なども残されており、彼の歩みの原点に触れることができます。
この駅をデビューの場所に選んだのも、彼にとっても肥前山口駅が意味深い駅だったということではないでしょうか。
ただ、今回の新幹線の開業で、終点が新大村駅に改名となり、肥前山口駅はその名前と共に最長片道切符の終点としての役割を終えたのでありました。
上でご紹介したくるり書き下ろしの江北町公式ソングは『宝探し』というタイトルが付けられています。
子どものころ夢中になって宝探しをしていて、気づけば大人になっていた。悲しいことも乗り越えながら、自分たちの中にしまってあった宝ものを見つける。といった詩になっております。
駅名が変わったとしても、肥前山口駅で人々が紡いだ時間や旅人の経験は何にも代えがたい宝物でありましょう。
さらば肥前山口駅
でも、
「僕たちはしまってあるよ だいじなだいじな宝もの」(くるり『宝探し』より)
おしまい
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