2023年5月、今年のGWは5連休、4月に入った頃からどこか浮ついた気分でありました。
「普段できないことをしよう」「気候も良いからアウトドアがいいか」旅というのは計画段階がワクワクするものです。
白熱した脳内会議の結果は、数票差で つくば霞ヶ浦りんりんロード 行きを採択したのでありました。茨城県の土浦から筑波山麓を巡り水戸線の岩瀬までを結んでいた筑波鉄道。その廃線跡がサイクリングロードとして活用されている場所であり、太陽光と”鉄”分を同時に摂取できる点が決め手となりました。今回はその輪行の道中に立ち寄った桜川市 真壁の街並みをご紹介したいと思います。
駅のおもかげ
鉄道に乗っていて大きな街にやって来た感覚を覚える駅。例えば山手線の新宿。列車がホームに入る前から線路が高架を跨ぎ、中央線が右から寄り添うなど、巨大駅に入る準備を進めていきます。あのような感覚です。
「街だ!」
岩瀬から田畑に囲まれながら単線の廃線跡を駆けてきた中で、最初に街の感覚を覚えたのが真壁でした。
広大な駅の跡地は公園として開放されていました。親子がお医者さんごっこをして遊んでおりました。時間は朝10時。なかなかの”早出”ですねぇ。
現役時代の映像を見ると、島式ホーム上の樹木は当時から残されているもののようです。廃線から30年近くでだいぶ成長しています。
写真左手の階段も構内踏切として現役時代からあったものと思われます。当時の利用者たちの日常を30年後に踏みしめているのは不思議な感覚です。
鉄ヲタ的に街を分類すると大きく2種類あります。鉄道によって作られた街とヒト・モノが集散する立地にあり鉄道が必要とされた街です。
真壁は後者で、南側から東側にかけては筑波山と加波山がそびえ、西側には霞ヶ浦に注ぐ桜川が流れる先天的に要衝となるべく場所に形作られた街並みと言えるでしょう。平安末期に真壁城が築城された頃から歴史を紡ぎ、近代にかけては木綿や地元で採掘される石材の集散地として賑わいました。
”駅前通り”にやってきました。駅前広場は右手、白色のワンボックスが駐車しているあたりにありましたが、
現在は跡地に老人ホームが建ち、面影はその筋の人でなければ感じることは難しいでしょう。とはいえ土地は変われど、人々の生活はすぐには変わらないものです。右手に目をやると、
この一画の眺めは駅を基点に人々の往来があった時代を感じることができます。当時の来訪者のように駅から真壁の中心街へ足を(ペダルを?)運んでみることにしましょうか。
豊かな資源はまちを作った
街中で煙突を見かけると嬉しくなるのはそこに温もりを覚えるからでしょうか。
村井醸造さんは江戸期より真壁に構える老舗の酒蔵。近江から行商人としてやってきた村井 重助が良質な米と水に恵まれた真壁に惹かれ創業を始めたのそうで、真壁の当時の豊かさを今に伝えてくれている施設です。
村井酒造の向かい側に建つ蔵布都さん。建築から100年を誇る石蔵で染め織物の衣類・雑貨を販売されています。真壁を語る上では、食、水の豊かさと共に、石も重要な要素です。真壁周辺は国内有数の御影石の産地。1918年(大正7年)に筑波鉄道が開業し輸送手段が確立されると、石材の街として発展をしていきます。現在も石材加工にも優れた企業も多く、墓石や灯篭をはじめ、赤坂の迎賓館にも真壁石が利用されており、皆さんの意図せぬところで真壁との接点がこれまであったのではないでしょうか。
また、御影石は間接的にも真壁の産業を支えてきました。筑波山などに降り注いだ雨水は御影石の層を通り、長い年月をかけてろ過され、山麓にある真壁を潤してきました。前述の村井醸造さんの酒造りにも、こうした真壁の石が欠かせないというわけです。
蔵布都さんの隣にはサカヨリ洋品店さん、
そして同じ通りの高濱商店さん。米と燃料の組合せが個人的に不思議なのですが、ヒト・モノのエネルギー源を扱うってことで同じくくりになるのでしょうか。
サカヨリ洋品店さんを曲がると、これまたどこか落ち着く街並みと季節の鯉のぼりがお出迎えしてくれました。右手の公共施設で何か催しがあったのでしょうか。軽自動車が往来し、活気があります。かような旅を続けていると比較的高齢の方々と触れ合うことが多いのですが、先ほどの真壁駅跡しかり、この場所しかり、ファミリー層を見かけることが多く、街の明るさを感じさせてくれます。
木造瓦屋根にレンガ(タイル?)のファサードがオシャレな宮本精肉店さん。テレビでも取り上げられる有名店だそうで、2019年当時の記録ではコロッケが1個50円(!!)、その場で上げてくれるという我が街にもぜひいらして欲しいお店なのだとか。
ゴールデンウェークほど足取りが軽くなる大型連休はありません。半年近い凍える季節が終わり、日の長さを感じながら太陽を浴びて過ごすのは嬉しい限りです。この日まで仕舞われてきた鯉のぼりも、そんなことを想っているのでしょうか。
ここからは真壁の町のメインストリート、御陣屋通りへ向かいます。
メインストリートに見る経済史
私の友人に各地の郵便局巡りを愛してやまない男がいます。郵便局には厳密にその役割によっていくつかの種類があり、私には「書留を出しに行く場所」くらいの認識しかないわけですが、彼の目にかかれば一瞬で見分けがつくのです。そんな彼との旅を通じて、すっかり私も赤いポストに注目するようになってしまったのでありました。どうしてくれるんだっ!
とは言いつつも、郵便局という切り口から街を見るのも一つだと感じている所でありまして、
こちらは旧真壁郵便局。建物は1927年(昭和2年)に第五十銀行(現在の常陽銀行)として完成したもの。郵便局として1956年(昭和31年)から郵便局が市街の外れに移転する1986年(昭和61年)まで利用されたようです。
建設から現在まで人々の移動手段が徒歩から自動車に変わり、その中で銀行の位置づけも中心街のシンボルから変わっていったということでしょう。
御陣屋通りの全景。左手に写る若松屋さんをはじめ、左右に衣料品店が並び、往年の賑わいを感じさせてくれます。江戸期は木綿、明治以降は製糸業と大正期の筑波鉄道の開通後は石材がもたらした活発な経済活動の面影を目にしているというわけです。真壁はいわゆる重伝建、重要伝統的建造物群保存地区にも茨城県で唯一指定されています。
ただ、寄せる波があれば引く波もあるわけです。1987年(昭和62年)の筑波鉄道の廃線、代替の路線として関東鉄道が運行していたバスも2011年(平成23年)に廃止され、現在は桜川市が岩瀬駅と筑波山口間で運行しているコミュニティバスが唯一の公共交通機関となっています。
平成の大合併で下館は筑西市、岩瀬と真壁は桜川市となりました。行政運営の厳しさも伺えます。
こちらにも衣料品店。御陣屋通りはファッションストリートでもあったのでしょう。
瀬田家住宅は1910年(明治43年)完成。綿織物などを扱う見世蔵だったようです。
桜川市に所在する文化財の件数は県内で2番目に多い数だそうで、それは真壁が歩んできた歴史の厚みと経済的な豊かさを表しているように思います。りんりんロードがもたらした自転車という新たな”資源”を活かして、次なる歴史を紡いでいって欲しいですね。
御陣屋通りを振り返ってみて。古い街並みの空は広い。
おしまい
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