最近、家のカギをなくしました。
ちょっとした外出だったのですが、家を出る際にバタバタしていて、無下に扱ったのでしょう。いつものポケットに見当たりません。自分で収納したものを見失うことほどガクンと来ることはありません。
「もっと大切に扱ってやれば良かった。。」
失って気づくありがたみというのを痛感したのでありました。むしろ失う前に大事にしておかねば。
趣味おいてもこの姿勢は大切にせねばなりません。昨今、世の中を盛り上げている鉄道ファンたちにもこの想いを届けたい!というわけで、今回は秩父鉄道の貨物輸送に目を向けていきます。いまでは少なくなった私鉄での貨物輸送と鉱山関連産業が元気なうちに触れておこうというわけです。(2024年11月撮影)
石灰石の道
週末の観光地というイメージが強い秩父。実際、西武鉄道の特急列車で池袋から約80分、日帰りで楽しむにちょうどいい距離感で、私も子供のころから何度も訪れておりました。
ただ、秩父には観光地の鮮やかさの中に、どこか地に足がついたような堅実な雰囲気を感じていました。今思えば、頻繁に往来する貨物列車や山肌を抉られた武甲山の山容に産業のにおいを感じていたのかもしれませんし、自己犠牲的に秩父の暮らしを潤しているその姿に感じるものがあったのかもしれません。
現在も秩父鉄道は、三ヶ尻駅(熊谷市)と影森駅(秩父市)の間で貨物輸送を実施しています。秩父地域で採掘され、セメントの原料となる石灰石等の鉱石を、三ヶ尻駅付近の太平洋セメント熊谷工場ほか、沿線工場へ運んでいきます。(完成品であるセメントの輸送は2006年(平成18年)に廃止になっています)
そんな秩父鉄道の魅力は、何よりも貨物輸送の規模と本数ではないでしょうか。国内では下火となりつつある鉱業分野での鉄道貨物輸送。実際、石灰石輸送貨物は国内で3社にまで減少している(秩父鉄道、岩手開発鉄道、西濃鉄道)わけですが、そんな貨物輸送、隆盛の面影を感じることができます。
砿都。産業景観に詳しい岡田昌彰氏は秩父をそう呼んでいますが、文字通り秩父鉄道が鉱山と工場を結びつけ、地域全体で石灰、セメント産業を支えています。
今回は、秩父側の輸送拠点である影森駅を中心にその様子をお届けしていきます。
三輪線という通称
影森駅にやってきました。秩父鉄道の運行拠点となる駅で、ここから三峰口へ向かう列車の本数はぐっと少なくなります。
1面2線の旅客駅と1本の留置線に対し、側線の多さがこの駅が人のためではなく貨物のために設けられていることを象徴しているように感じます。嬉しいですねぇ。やはり広大な駅には「何かあるのではないか」と熱い視線を送ってしまいます。駅の詳細は後述させていただきますが、まずは本駅を基点とした通称 三輪線を見ていきます。影森駅構内と同駅の約1km南方の山腹にある秩父太平洋セメント三輪鉱業所を結んでいるいわゆる貨物線(厳密には影森駅の構外側線)です。
駅南西方向にある踏切にやってきました。
3本の線路がありまして、最も右端の線路が三峰口駅へ向かう旅客線で、左端の線路が三輪線です。平坦な本線に比して三輪線は「これから鉱山に向かうんだぞ」と覚悟を感じるような連続勾配を登っていき、貨物列車は鉱業所に突っ込んでいきます。まずは貨物線に沿って鉱業所へ向かいます。
そして3本あるうちの中央の線路、こちらは武甲線の廃線跡です。三輪線同様に影森駅から南方に延びていた貨物線でして、こちらも後述させていただきます。
3線を俯瞰すると上記のようになります。貨物線2線が山へ分け入っていくのに対し、秩父本線は山すそを沿うように浦山口駅方面へ向かっていきます。
とそこへ、
先ほどのデキ102が三輪鉱業所から戻ってきました!石灰石が満載ですね。車輪を軋ませながら、大事な積み荷を落とさないように丁寧にゆっくりと勾配を下り、熊谷方面へ向かっていきます。
最後尾のヲキフ100は貨車ながら車掌室が設けられた珍しい車両。本線上を走る光景は秩父鉄道以外で見ることが無くなってきました。
さらに鉱業所方面へ進むと、三輪線と本線の高低差がいっそう広がっていきます。そして湯澤橋付近で両線は袂を分かち、目的地へ向かっていきます。
簡素な設備の貨物線が山に分け入っていく雰囲気は独特で、「訪れた甲斐があった」と思わせてくれます。道路と線路の敷居も低く、一昔前の大らかな時代の雰囲気を懐かしく思い出してしまいます。貨物列車の撮影地としてもよろしいのではないでしょうか。
三輪線と寄り添うように歩くこと数分、三輪鉱業所へやってきました。武甲山の麓、ホッパーを備えた「終着駅」はなかなかの雰囲気ではありませんか。秩父鉄道の貨物輸送における末端部ともいえましょう。
武甲山の西側に位置し、1925年(大正14年)に操業を開始した三輪鉱山。 同鉱山では、約95万トン/年の石灰石を採掘、破砕、運搬までを事業としています。1日に10本程度の貨物列車が発着し運搬を担っており、その入れ替えの様子を敷地外から眺めることができるのですが、鉱山運営を間近で観察できる国内でも稀有な場所です。
と、感傷に浸っていると、この日は先ほど見かけた貨物列車が最終便だったことが発覚。お散歩中の地域の方に教えていただいたのですが、それほど地域に貨物列車が馴染んでいるということでしょう。落胆はしたものの、鉱業所の雰囲気でも十分満足しましたので、またの機会に改めることにしましょう。
ちなみに石灰列車の時刻表は上記の通りとなっているようです。ネット上で見かけた情報なのであくまで参考程度にしていただきたいのですが、平日12:00以降の時刻は今回の遭遇時刻と概ね合っていたように感じます。地域の方の話では、採掘量によって本数は増減するようですので、そのあたりのライブ感も楽しんでくださいね。
武甲線という廃線
続いて第二の貨物線、武甲線を見ていきます。
影森駅と秩父鉱業 秩父鉱業所を結んだ約1.5kmの貨物線です。1918年(大正7年)に開業し、1984年(昭和59年)に廃線になっています。影森駅から西方へ向かう3線の中で最も歴史があるためか、最も自然な線形で線路が延びているのが印象的です。(三輪線:1924年、武甲線:1918年、秩父本線:1930年)
廃線跡は現在、琴平ハイキングコースに姿を変えて広く公開されています。レールを残しておいてくれたらもっと雰囲気があったと思われるのが残念!
コース上には廃レール製の架線柱が残されていて、微かに往年の雰囲気を感じ取ることができます。さらに進むと、
ここにも嬉しい残存設備が!石積みの小屋?倉庫は何に使っていたのでしょうか。
その先の開けたところにはレールと枕木が残されていました。素晴らしい。敷地の広さから交換設備、あるいは留置線の跡地でしょうか。さらに進み、
残存レールからすぐの場所、秩父鉱業所に突き当たる形で廃線跡は行き止まり。秩父鉱業所は現在も稼働中ですが鉱石輸送を貨物列車からベルトコンベヤーに転換したため、武甲線は廃線となったようです。武甲線の往年の様子を記録されている方がいらっしゃったので、こちらのブログも参考になればです。
影森駅
最後に今回の来訪の拠点となった影森駅を見ていきます。1917年(大正6年)の開業で、当時は熊谷駅方面からの終着駅として機能していました。
2016年(平成28年)以降、駅舎は簡素なものになり、今では御手洗の方が立派な造りになってしまいました。ただ、武甲山を背景とするこの眺めはさすが石灰石の街という雰囲気でたまりませんな。
ホームへやってきました。旧都営三田線の5000系が停車中。羽生駅への出発に備えています。昔ながらの雰囲気が残るホームは素敵じゃありませんか。
最盛期は年間500万トン近くの貨物を送り出していましたが、今ではその10分の1ほどの量まで落ち込んでいます。多数の側線を備えてそうした栄華を感じさせる影森駅はどこか誇らしげに見えてきます。
影森駅近の影森中学校は卒業ソング「旅立ちの日に」を生んだ学校としても有名です。作詞、作曲共に一般の教員の手でかの名曲が生まれたのは驚きでありますが、石灰産業を基盤にした秩父の豊かな暮らしが文化の面でも萌芽したように感じています。
産業がなくなれば地域がなくなり、文化が滅んでしまう。今あるもののありがたみを失う前に感じていこう、そう改めて感じた秩父市影森の散策でありました。
おしまい
アクセス
・車:関越自動車道 花園ICより約90分(東京から約120分)
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