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13:40 水上発 E217系 普通列車長岡行き
2022年1月8日(土)、水上から隣駅の湯檜曾(ゆびそ)駅を目指します。所要時間は5分程度。
沿線人口が少ない地域のため、列車の本数は両手で数えるほどです。とはいえ、山岳ローカル線とは思えないような車両がお出迎え。
そして乗ってビックリの混雑ぶり。
冬季の18きっぷ利用期間の最後の週末であり、雪を抱いた山並みも美しいということなのでしょうか。
では、乗客は、スキー・登山客2割、地元の方2割、鉄道ファン6割といった風に見えましたがどうでしょう。とはいえ朝の通勤列車のように車内は静かです。発車を待っていると車掌から放送が入ります。
「この先のポイントの動作確認を行っており、発車が遅れています」
凍結か何かでしょうか。それでも車内は雰囲気は変わらず。
列車の定時性は都市圏のように求められていないのでしょう。この列車に乗って目的地に向かえればいい。
列車は数分後、障りなく水上駅構内を後にします。
13:54 湯檜曽駅 着
利根川と共に列車は北上、しばらく谷を撫でるように走ります。そして山に突っ込むと、ほどなく停車。
ここが湯檜曽駅です。
列車がホームを離れ、新潟方面に待ち構える暗闇に尾灯が吸い込まれていきます。ホームに響いていた列車の力行音が次第に遠くなり、ふと我に帰ればトンネルに1人残されていたのでした。トンネルを風を伴って列車が駆けてゆくのでしょう。それに誘われた冷たい風がトンネルに入り込み、私の背中を包みます。
駅は、上越国境を貫く新清水トンネルの入口付近に立地しております。
新清水トンネルの全長は13,500m。1967年(昭和44年)の完成で、単線の鉄道トンネルとしては国内最長です。トンネル内に2つの駅を有し、本駅とお隣の土合駅がモグラ駅として知られます。
戦前に完成していた「国境の長いトンネル」こと清水トンネルが単線で上下の列車の行き違いに支障があったため、国境区間の輸送力増強を目的に建設されました。
現在では5往復の普通列車と数本の貨物列車の往来があるのみ。
新清水トンネルの建設当時は、東京と新潟を結んだ特急とき、急行佐渡、青森に向かう特急いなほ、金沢行きの特急はくたかなどが頻繁に往来する大幹線で、かような巨大インフラが求められていたのでした。
トンネルは、どこかを流れる水の音がこだまするのみ。ぽつんと残された。この言葉が似合う駅です。
このような長大トンネルは列車や車に乗りながら通過することが多いので、このように歩きながら観察できるというのは貴重な体験です。
決して需要は大きいとは言えない巨大設備を綺麗に維持するのは大変です。コロナ禍で固定費が大きい鉄道業界の苦難をよく耳にするようになりましたが、それを感じられる場所かもしれません。
書体からして最近設置されたであろう案内板。
壁面が緑変しているのは苔かなにかでしょうか。
案内脇の階段から下り線ホームに向かいます。
ループ線展望台
先に敷設された上り線は地上に存在します。これは上下線が異なる方法で上越国境を越えるためです。説明の前にご覧いただくのが早いかと思います。
遠望できる線路は今、私がいる湯檜曾駅の上り線ホームに繋がっています。の写真左手、新潟側からやってきた列車は、トンネルに入った後、ホームで待つ人をじらすように反時計回りに勾配を下りながらやってきます。これがループ線です。
地図で見るとこのようになっています。
このように不思議なルートをたどるのは、等高線に抗って標高を稼ぐためです。
いわゆる国境の長いトンネルを短くするために、高さを稼ぎ、少しでも山塊が薄い箇所を貫いたというわけです。
一方、先ほどの下り線はそのような苦労は「我知らず」と言わんばかりに直線的に北進しているのがお分かりかと思います。(緑矢印)
この違いを生んだのは土木技術の進歩です。
1932年(昭和7年)、上越線全通時に開通したのがループ線です。線路は単線での現在の湯檜曽駅のこの場所に列車の行き違いをする信号場が設けられ、上下の列車をやり繰りしていました。
そして、川端 康成の『雪国』に描かれているのは、そんな国境の隘路を北進し、山の向こう湯沢へ向かう列車からの眺めです。現在では、このループ線が上り線専用となってしまい、北進する列車はありませんので、「雪国であった」を当時のとおりに追体験することはできなくなっています。
そしてループ線開業後、大戦を経て高度成長期に建設されたのが先述の1967年に開通した下り線 新清水トンネルです。ループ線の開通から35年後のことで、その間の技術の高度化により国境の道をシンプルにできたのでしょう。
駅の外へやってきました。
コンクール製の駅舎がお出迎えしてくれます。つい最近まで山小屋のような立派な駅舎でしたが、かようなシンプルなお姿に。界隈ではあまり評価されていない悲しい駅舎ですが、雪深い地域で維持費も掛かるでしょう。スタイリッシュな駅舎が再建されただけでも良かった気がします。
駅周辺を散策した後、今日のお宿 湯檜曽温泉街の林屋旅館さんへ向かいます。と、駅から北進すること数分、温泉郷の入口に城門のように建つ鉄橋がありました。
遊びつくして凍えたからだをひきずり、いざ投宿。湯檜曾の温泉街は、こじんまりとしていて、落ち着いた時間を過ごしたい方にはオススメでございます。
その様子はのちほどご紹介するとして、夜に再び訪れた駅の様子をご紹介します。
夜のループ
時間は17時を迎えるところ。
せっかくならループ線をゆく列車を見ておこう
と、部屋の温もりに後ろ髪を引かれながら、なんとかここまでやって参りました。
周囲はせせらぎが聞こえるだけ。世界は本来静寂なのだと思い知らされます。
そんな風に感じていると、上り列車の接近メロディが聞こえてきました。17:27発の水上行き普通列車です。メロディといってもそれは列車自身が奏でるジョイント音。
明かりが灯る集落を包みこみながら、こちらへ近づいてきます。
さながら銀河鉄道です。そして扉越しに立ち客が見えるほどの混雑。やはり上越線、侮れません。
ということで夜の探索は、30分で終了。急いで宿に帰ります。これが活動限界でありました。手袋を冷気が突き抜けるなんて聞いてませんよ。
おまけ 宿紹介 -湯檜曾温泉 林家旅館-
今回の雪国紀行でお世話になったお宿 林屋旅館さん、大正11年創業の老舗さんです。湯檜曾の駅からは歩いて5分ほど
水上温泉と悩みましたが、先日の庄内旅行で訪れた民宿さんで良い思いをしてしまい、以来こじんまりしたお宿の虜となり、かような選択となったのでした。
呼び鈴を鳴らすと、優しげな若女将さまがお出迎えくださいました。
こちらで記帳を進めますが
おっとこれは!
写真左上にループ線、中央にループに至るトンネルが口をあけています。撮影時期は不明ですが、線路のまわりが綺麗に見えますし、開通直後の風景でしょうか。
鉄道ファンら物好きが訪れるニッチな観光地となった湯檜曾のループ線ですが、このような写真が残されたことから当時は現在とは違う見方をされていたことが伺えます。
清水トンネルも完成時は東洋一の長さを誇りました。何より、上越国境を越える道ができたこと自体が喜ばしい出来事として捉えられた気がします。
客層を伺うと一人客の方が結構いらっしゃるようです。
朝食は持参していたため朝食抜きのプランにしていたのですが、「明朝は早めの出発ですか」と確認されます。湯檜曽からさらに北進した先には谷川岳がそびえます。「湯檜曽温泉は登山客の利用者が多いのか」と一人合点したのでありました。
くつろぎ、平穏、旅情
求めていたものがすべてそろっています。あぁ来てよかった。
客室は集落側のため川の眺めは叶いませんでしたが、障子からは地元の方々が雪かきをされれる音が聞こえ、「雪国らしくてこれもまた良いか」と思うのでした。
夕食は部屋食です。
ごちそうさまでした。
仲居さんによると今年の降雪は早く、特に昨日までは良い降り具合だったのだとか。
今年は東京でも積雪がありましたし、納得です。
余談ですが、この記事は1月末に書いているのですが旅の後、「上越線運休。雪のため」という運行案内を見ることが増えた気がします。お出かけになる方は行かれる時期などは注意したほうが良いかもしれませんね。
林屋旅館さんの温泉は源泉かけ流しです。お風呂にこだわりのない私なのですが、雪国となると話は違います。冷えたからだを血が巡る感覚は、別格です。
白タイルが日中楽しみ尽くした雪景色を思い出させてくれます。
このアーチを独り占めでございます。湯船につかり、愉悦に浸ります。
というわけで林屋旅館さんのご紹介でした。
明朝は、湯檜曽のお隣のモグラ駅 土合駅へ向かいます。
つづく
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