前回はこちら
島根県 温泉津温泉
2019年8月10日、いよいよ本日のメイン!地名の80%が温泉の温泉津温泉。読みは「ゆのつおんせん」です。The 温泉 of 温泉。温泉津温泉の歴史は古く中世に遡り、世界遺産 石見銀山の積出港としても栄えた場所です。現在では、その面影を感じることは難しくなっていますが、穏やかな港が現在でもこの街を象徴する眺めとなっています。2022年9月にはブラタモリでも紹介がされました。
港から山に分け入るように狭隘な土地に温泉街が伸びています。地図で見てみましょう。
では実際に行ってみましょう。
道の両脇には古風な家々が建てられておりますが今なお人の営みと共存していて、活気があるのが非常に印象的です。
かつての賑わいを今に伝えるように建物だけが・・・という街が多いですが、この温泉津は様子が違いそうです。
自分だけがタイムスリップしてきてしまったような感覚を覚えます。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
本日の宿泊は奥に見えるもりもと旅館
言葉には勢いもありながら、元気で温かい女将さんがお出迎えしてくれました。荷物を置いて、温泉街探検に向かいます。
この温泉津には街の顔となる二ヵ所の外湯(そとゆ)、いわゆる共同浴場が向かい合って出迎えてくれます。
ちなみに、温泉津で温泉に入るためにはこのどちらかの浴場を使うしかありません。各宿に分配するほどの湯量がないためなのだとか。たしかに戦後しばらくまでは、都心部などでは各家庭に風呂はなく、近所の銭湯へ行くというのが一般的だったようですから、そんな古来の日本の入浴スタイルが踏襲されていると言えるでしょう。そして、もう一か所の外湯がこちら
観光ガイドでよく見かけるのはこちらの建物でしょうか。この二か所の外湯にはいずれも洗い場はありません。温泉に入るためだけの施設です。
ちなみに余談になるのですが、この二か所の外湯は道路を挟んで向き合っているのもあってか互いにライバル意識がある?ようです。元湯泉薬湯の駐車場に車を停めてこの薬師湯に行こうとした家族連れが、元湯泉薬湯の番台のおばちゃんに怒られるというシーンを見かけました。ご利用の際はお気をつけくださいね。
薬師湯にはカフェ 震湯カフェ内蔵丞がある建物が併設されております。
1919年に建てられたもので、かつて浴場として使われていたようです。名前にある「震湯」というのは、この薬師湯が1872年に発生した浜田地震で湧き出たことに由来しています。
寅さんの映画で見たような風景が現代にも残されているなんて・・・
元湯泉薬湯の向かい側には小さな広場があり、ここでは飲泉ができます。ボタンを押して、龍の口から出てくる温泉をコップで飲むということなのですが
えげつない勢い笑
コップに入れるのに一苦労。また、実際に飲んでみるとなんとも渋い味でありました。
良薬は口に苦しということでしょうか。
この広場には、温泉津に所縁のある浅原 才市の銅像もありますが、その詳細は後ほど紹介するとして、再び散策に戻ります。
山側から吹き降ろすのか、はたまた港からやってくる風でしょうか。風鈴の音が街中を包んでいます。
今となってはチョンマゲができる床屋さんも減ってきました
港の近くには懐かしさを覚える商店。温泉街にはコンビニはなく、小さな個人商店が数軒あるのみ。
港までやってきました。V字型に広がる集落の合流点に位置しており、街の中心というような雰囲気があります。
温泉街が上の緑で囲んだエリアです。次に橙で囲んだもう一方のエリアにもちょっと足を延ばしてみます。
浅原 才市の生涯に触れる
先ほど飲泉広場で紹介した浅原 才市に所縁があるのがこちらの安楽寺さん
浅原 才市は、この地で暮らした下駄職人でした。ただ、彼の名を知らしめたのは下駄づくりのその技術ではなく、石見の妙好人という点においてでした。では、その妙好人とは何でしょうか。
妙好人とは、
浄土真宗の篤信家で、その言動で特に抜きんでた人物
のこと。
熱心に安楽寺に通い、聴聞を続けていた才市は、自身が手掛けた下駄などの作品に胸の内に湧いた「口あい」という詩歌を掘り続けました。これらが浄土真宗の教えを鋭く突いたものが多かったため、仏教学者の鈴木 大拙が世界的に紹介。その名が知られるようになったのでした。
死んでまいる浄土じゃないよ
生きてまいるお浄土さまよ
なむあみだぶにつれられて
ごおんうれしや なむあみだぶつ
本堂の一角には、才市を紹介する部屋が設けられております。
安楽寺から数分で駅へ。温泉街まで歩いて10分ほどの温泉津温泉駅。
特急の停車駅でもあります。鉄道で訪れて、この落ち着いたホームから旅を始めるのも悪くなさそうです。
V字型の温泉津の集落をなぞり終えたところで、一度宿へ帰還。夜に備えます。
部屋からの景色は令和とは思えません。宿入りから夕食までのアイドリングタイムというんでしょうか、部屋で荷を下ろしまったりする束の間の時間が嫌いじゃない筆者。
すっかりこの街が気に入ってしまった私は、夜の温泉津にも繰り出してしまいました。そして本日はお盆真っ只中で夏祭りが開催されるということだったので、再度港の方まで行ってみることにしたのでした。
真夏の夜の温泉津
温泉津の魅力は、等身大の街並みというんでしょうか、
歩いてて心地良く、そのこじんまりしたお家一つ一つに人の営みがあると思うと、なぜだか温かみを感じてしまうんです。
港までやってきました。岸壁は出店と来場者で大賑わい。そして海側に目をやると
どーーん!
どどーん!!!
街灯の少ないこの一帯を、花火が照らし、炸裂音は山にこだまして、胸を揺らします。
全身に押し寄せる夏
温泉街では、軒下に椅子を置いてうちわ片手に花火を見物される地元の方もおられ、各々の夏を楽しんでいらっしゃいました。存分に祭の雰囲気も味わったところで、21時ごろに宿へ戻ります。すると宿の女将さんが迎えてくれたのですすが
※方言の再現度合いはご容赦ください)
と、背中をぐいっと押されてしまったので再び港へ戻ります。本日、温泉街3往復目です笑
伝統芸能 石見神楽を堪能
神楽とは、スサノオノミコトが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を成敗する神話を描いた舞台
2021年末、NHKのゆく年くる年でも紹介されていました。
尾をくねらせて襲う様がなかなかの迫力です。中でも、このオロチさんには仕掛けがあるようで
火を噴いとる!
想像以上に過激な演出!笑
あらすじは以下のようなものなのですが
夫婦には8人の娘がいたそうですが、年に一度、肥河(斐伊川)上流に住まうヤマタノオロチという怪物がやってきては、村の娘を食べてしまい、残された最後の一人クシナダヒメにもまた、その時が迫っていました。
ところがそんな悲劇の村に現れたスサノオノミコトは、クシナダヒメとの婚約を条件にヤマタノオロチ征伐に出かけます。
ヤマタノオロチを酒に酔わせ油断した隙を突いたスサノオノミコトは、無事ヤマタノオロチを退治。その際、切り取った尻尾から出てきたのが、三種の神器の草薙の剣。スサノオノミコトはそれを天照大神に献上し、クシナダヒメと幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
この神話が何を伝えているかというのには、主に2説あります。
①スサノオノミコトによる治水事業という説
今もそうですが、河川は人々に豊かな生活をもたらす反面、水害等によって甚大な被害を出す可能性があります。そんな河川の具合は、神様の腹のうち次第とされていたとしても不思議ではないでしょう。一方でそんな水を司るのは水神である蛇なのだと考えられていました。川の蛇行する様などから想像したものでしょうか。
神話においてその”蛇を退治した”わけですから、水害に苦しんでいた人々を救った。つまり、治水事業を成功させたという解釈ができるということです。
なるほどなぁ。
② 時の権力者の争いを伝えているという説
ヤマタノオロチは、高志(越の国。現在でいう北陸地方以東)からやってきたとする言い伝えもあるようで、高志(越)というのは、中央政権からして勢力が及ばない「向こう側」の地域という意味があります。
その越からやってきたヤマタノオロチを征伐したスサノオノミコトが、草薙の剣を献上した相手である天照大神は、天皇の祖先神とされています。となると、中央政権にぶら下がる形で存在した出雲の権力者が、敵対していた高志の権力者を征伐し、それを自身の親玉である中央政権に報告したとも取れなくなさそうです。
神話を理解することで見えてくる歴史もあるような気がしました。宿のおばちゃん、背中を押してくれてありがとうございました。今日はこの辺で。明日はさらに西方へ向かい、島根県津和野を目指します。
つづく
コメント