荒川
東京近辺に居住する方は一度くらいは耳にしたことのある河川ではないでしょうか。秩父の山奥に湧き出し、熊谷、川越を経由し、東京湾にそそぐ総延長173㎞の一級河川です。今回は荒川に架かる11か所の鉄道橋が主役でございます。
ことの発端は二つ。
1つは猫パンチです。動画サイトなどでねこが繰り出す打撃攻撃をこのように呼ぶことがあります。自分も好んで鑑賞していた一人でありました。そんなこともあり最近オスのマンチカンを飼い始めたわけですが、彼と日々暮らす中で思ったのです。
「あれって猫キックじゃないか」
と。
調べると言葉の定義として、前肢を「手」としているようなので「猫パンチ」という表現は正しかったのですが、猫の手は同時に脚だということを改めて認識したのでありました。この経験から
「今まで当たり前だったものを違う角度から見てみよう」
と思ったのでありました。
2つ目は荒川放水路への興味です。荒川の赤羽以南の区間の正式名称でありますが、これは人造河川であるため。ただ、それが到底人の手によるものとは思えない規模であり、改めて身近で見てみたいと思ったわけです。
そしてこれらが合わさった結果、こう考えたのでありました。
鉄道に乗れば簡単に越えてゆく巨大河川を違う角度から見てみたらどうなるか。
その一連の様子を、今回お届けしてまいります。行程は、東京の最果て戸田橋から荒川沿いに南下し、河口近くに在る新砂リバーステーションを目指します。総距離27.5㎞を自転車で巡ります。
※2022年7月撮影
JR埼京線・東北新幹線(浮間舟渡~戸田公園)
旅のスタート地点はこちら。国道17号線の戸田橋です。ここから荒川の河川敷をひたすら南下していきます。
まずはJR埼京線と東北・上越新幹線などが行き交う荒川橋梁。今回紹介する鉄道橋の中で唯一の鋼コンクリートの合成桁橋でございます。
埼京線の浮間舟渡・戸田公園間にあり、1985(昭和60)年に完成した全長639mの橋梁です。県境を越えてゆく橋でもあり、川の手前が東京都板橋区、対岸が埼玉県戸田市となりまして、新幹線に東京から乗り込んで最初に旅を意識する場所でもあります。
橋の周囲はサッカー場やゴルフ場となっていて、地元の方の好楽の場となっているようですね。
橋梁はシンプルなデザインで、空が一段と広く見えます。またコンクリート橋であるため、列車の走行音がそれほど気になりません。運動に集中することができそうです。
戸田橋からは日本のランドマーク的な煙突を見ることができます。
かつては軍事施設が散在しており、水利にも恵まれた板橋区は23区内で製造品出荷額が第2位と工業都市であったりします。
JR湘南新宿ライン・宇都宮線・京浜東北線(赤羽~川口)
戸田橋から東へ約5㎞。やってきたのはJR京浜東北線の赤羽・川口間に架かる荒川橋梁です。
手前から湘南新宿ライン、宇都宮・高崎線、京浜東北線の3路線に供用されています。1965~68(昭和40~44)年の間に順次竣工しており、手前が東京都北区、対岸が埼玉県川口市となっており、こちらも県境を越えてゆく荒川橋梁でございます。
川口は、都心へのアクセスも良く、子育て環境も整っていることから近年では人気な街のひとつ。対岸のビル群も数年前より増えた印象です。都会的な眺めと緑が共存する雰囲気は、数ある荒川橋梁の中でも好みでありますねぇ
本橋梁をさらに東進していきますと、
荒川放水路を語る上で欠かせない岩淵水門が見えてきます。
水門の先が現在隅田川と呼ばれている旧荒川、そして水門の左手へ進む水の流れが現在の荒川(放水路)で、人工の河川です。水門は大雨の際、狭あいかつ蛇行しながら都心部を流れる隅田川へ流入する水量を抑えるために、放水路の開削と同時に設けられました。
水門はいわば水害の番人。写真の赤い水門、通称赤門は1924(大正13)年に竣工し、1982(昭和57)年まで稼働していた初代水門です。赤門の老朽化や周辺の地盤沈下を受けて下流側に新たな水門が設けられました。こちらは通称青門。現在も都心部を水害から守ってくれています。
こちらは戦前に開催されていた全日本草刈選手権大会の記念碑です。
正真正銘の草刈の早さ、美しさを競う大会であったようです。都道府県予選を勝ち抜いた猛者たちが荒川の河川敷に集いその腕を競ったとのこと。今ではローカルニュースに上がりそうなニュースですが、この石碑を見るに格式のある大会だったのでしょう。
戦前の全国的な飼料不足で枯草の利用が推奨されていたり、戦争に向かってゆく中で精神論的な風潮が強まっていたりした時期ということもあったようですが、なんとも愉快な大会でございます。
今回の旅で知ったのは河川敷が災害などの有事の重要な交通ルートとなるということです。
このヘリポートもそうですが、河川敷のサイクリングロードも緊急車両の通行に利用することが想定されているようなんですよね。行政は知らないところで「その時」に向けて準備をしてくれているんですね。
日暮里・舎人ライナー(足立小台~扇大橋)
岩淵水門から5㎞ほど東進します。ちょうど昼下がりの時間帯ですがこの日の気温は35℃越え。日差しが肌に突き刺さります。
今回ご紹介する橋梁群で最年少なのがこの荒川横断橋梁です。2008(平成20)年の完成で、舎人ライナーh都区内でも若い路線のうちの1つ。
県境を越えていた前述のJR鉄道橋群でしたが、荒川横断橋梁以南では両岸とも東京都足立区となっています。県境は河川の流路を基準に設けられているケースが多く、設定当時にこの場所には荒川が流れていたら、東京と埼玉の行政域は現在と異なっていたかもしれませんね。
巨大船舶が通過できそうなほど高所を通過しており、他の橋梁と比べて、規模・デザイン双方で際立っております。
メトロ千代田線・JR常磐線・TX(北千住~綾瀬・松戸・青井)
荒川横断橋梁から3㎞程やって参りました。戸田橋前に購入した500mlの水がここで底を尽いてしまい頭もぼんやりしてきました。。今思えば当然なのですが、河川敷には自販機がありません。夏の利用時は気をつけねばなりません。
さてさて、この北千住界隈は鉄道密接地帯!4社の路線の10本の線路を眺めることができます。
西側から、メトロ千代田線、JR常磐線、そしてTX(つくばエクスプレス)の順で並んでおり、トラスの建設順も同様です。
常磐線の建設が遅いのは、架け替えがされたため。かつては現在TXが走るルート上に常磐線が存在していましたが1997年ごろに現在地へ移設。跡地にTXが建設されました。当時の様子はこちらの方の動画に残っております。
貨物列車の裏手が建設中の現在の常磐線のトラス橋です。
橋梁移設前は、列車を至近距離で障害なく撮影できるということで、この付近は著名な撮影地だったようですね。
橋の直下へ行ってみましょう。
河川敷の貴重な日陰。涼むカップル、休憩時間を過ごす建設作業員の方、壁当ての特訓をする球児などが小さなオアシスで思い思いに過ごしておりました。
普段乗っている列車の足元がかようなことになっているとは知りませんでした。こちらも手前・対岸とも足立区となっています。土手を登っていくと、
東武スカイツリーライン(北千住~小菅)
JR等と少し距離を置いて荒川を渡るのが東武鉄道です。
路線名も2012(平成22)年まで用いられていた伊勢崎線の文字が残っています。
東武線は1路線ですが北千住以北の区間で複々線となっていて、2つのトラス橋を有しております。
余談ですがが、荒川の土手といえば金八先生の世代の筆者。
先生が土手を歩くシーンで背中に見える鉄橋がこの東武鉄道の荒川放水路橋梁だったりします。
京成本線(京成関屋~堀切菖蒲園)
※ここだけ2021年6月撮影です。
続いて1931年(昭和6)年に完成、全長は466mの京成本線です。成田空港への主要ルートを担う本線は高頻度で空港行き特急が行き交います。手前が足立区、対岸が葛飾区で、荒川が区界を形成しています。
また、全荒川橋梁の中でも、今一番注目を集めている存在ではないでしょうか。というのも、
実は荒川の治水面でネックになってしまっている場所でもあるため。
線路が通る場所の堤防が一段低くなっていて、そこから荒川の水が流れ出し、周辺地域に冠水の危険性が指摘されています。元々の原因は、地下水くみ上げによる地盤沈下なのだとか。
そのため、現在京成、国交省を中心に橋梁の付け替えに向けた準備が進められています。現在の橋梁の北側(写真でいう奥側)に新線を建設し、2037(令和19)年を目途に架け替えを行うようです。
京成押上線(八広~四ツ木)
こちらも京成は押上線の橋梁。こちらも手前墨田区、対岸が葛飾区となっています。
1998(平成8)年竣工と比較的新しいのは以下の旧橋を架け替えたためです。
現在よりもかなり水面に近い位置を渡っていきます。
上部構造がなく、ファンにとっては撮影にもってこいの場所だったはずです笑
架け替えのきっかけとなったのは、1991(平成3)年に航行していたタンカーがこの橋に衝突する事故を起こしたため。その衝撃は激しく、鉄橋がくの字型にひしゃげてしまったそうです。
そして、かねてより先述の京成本線同様、堤防を切り欠いた状態が治水上問題視されていたこともあり、架け替えとなったのでありました。
JR総武快速線・総武線(平井~新小岩)
京成同様、東京と千葉方面を結ぶJR総武線です。
手前が江戸川区、対岸が葛飾区。美味しい飲食店が多い地域で、訪問時は店選びに困ってしまいます。
やはり漫然とした河川敷の雰囲気の中で、列車が鉄橋を渡っていく音は良いアクセントになりますな。
都営新宿線(東大島~船堀)
ここからは地下鉄が頭上を駆けていく面白い光景が続きます。まず都営地下鉄新宿線。荒川「中川」橋梁となっているのは、
このように、荒川と寄り添うに中川が流れているためです。
安全のためとは分かってはいるのですが、ファン心としては車両が柵によって隠されてしまうので少し寂しい気もしてしまいますね。
メトロ東西線(南砂町~西葛西)
かつては東西線のすぐ南側が河口だったとようです。
ちなみにこの荒川橋梁では、かつて走行中の東西線が突風に煽られ脱線する事故が起きています。
幸いにも亡くなられる方が出ずに済んだのは、鉄橋がトラス橋で車両が水中に落下せずに済んだことも理由なようです。架橋する際の法規制により、上部構造で荷重を分散するケースが多いのですが、それが思わぬ形で良い方向に転びましたね。
JR京葉線(新木場~葛西臨海公園)
おしまい
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