今日から新年度。心機一転というわけですが、新型コロナウイルスの感染拡大で、陰鬱なムードが社会を覆っています。今後、どうなってしまうのでしょうか。本日は、山手線49年ぶりの新駅、高輪ゲートウェイ駅!の開業の陰で、ひそかに消えようとしている珍百景をご紹介したいと思います。と、その前に、まずは高輪ゲートウェイ駅を見ていきましょうか。
品川新駅が高輪ゲートウェイ駅になるまで
こちらは、2019年4月の様子。この区間は、定期的に通っていたのですが、この時その特徴的な大屋根が姿を現しました。骨格もだいぶ出来上がっています。
そして半年後の2019年10月。駅前の階段がだいぶ整備されました。
こののち、山手線・京浜東北線の線路が付け替えられ、このアングルでの撮影ができなくなってしまいましたが、この広々した空間に、少しずつ建造物が立っていくと思うと不思議でございます。んで、駅名で物議を醸した本駅ですが、いざ開業してみたら、
人人人人人
開業日が刻印された入場券のために数時間待ちの行列ができるという人気ぶりでした。駅中は
四季が感じられたり
かわいげなロボットが案内してくれたり
無人コンビニがあったり
鉄ヲタ垂涎の車庫があったり。駅前は
まだまだ、お世辞にも「なにかある」とは言えませんが、今後、周囲がビルの森になっていく過程は、楽しく見守っていきたいところです。
と、前置きが長くなりましたが、本日訪れるのは、その高輪ゲートウェイ駅から徒歩10分ほどの場所にある高輪橋架道下区道です。ここは歴史ある珍百景があるのですが、来る2020年4月12日で現在の姿が見納めになるとのことで、行ってきたのでありました。
桁下150㎝
突然ですが、日本人の平均身長をみなさんご存じでしょうか。
(出典:厚生労働省「2017年国民健康・栄養調査」)
歩行者と自動車の分離を図り、安全安心で快適な道路を整備します。
1 歩道
①歩行者が快適に歩ける歩行空間を整備します。
②明るく安全で安心して利用できる環境にします。
2 車道
①車両が相互通行できるようにします。
②緊急車両が通れる高さにします。
(引用:港区HP)
https://news.livedoor.com/article/detail/18009777/
(出典:カナコロby神奈川新聞)
現地レポート
出口のないトンネルとは、まさにこのこと
ただ、比較対象がないと、意外と高さが伝わらないですよね。わかっております、ご覧ください。
首をすぼめる男性
皆さまに伝わりましたでしょうか。この場所に入ったが最後、300m歩ききるまでこの状態です。
人の歩く速さは、時速4km/hと言われておりますので、分速m/m換算すると、66.7m/mなので、5分以上、この状態で歩き続けねばなりません。おーまいがー
意外と人通りがあることに驚き。ただ、改めて考えてみれば、このエリアで、線路の反対側に行けるルートはここくらいしかありませんので、当然と言えば当然
歩くこと5分。やっとの思いで、やってきました。出口です。ここでの解放感はなかなかのもの
こちらには立派な高輪橋架道橋の看板が掲げられており、びしっと決まります。このあたりが、ちょうど新道と重複する場所。これから工事車両などが見られるようになるのでしょう。ちなみに高輪橋架道橋て、なんでしょうね。高輪橋にある架道橋?高輪橋という橋を再利用して造られた架道橋?
外へ出ると、これまたエグイ曲線
東京タワー!!
良いですねぇ。スカイツリーより東京タワー派の私には嬉しい眺め。あのオレンジ色がたまらんのですよね。港区らしい景色が広がります。
自動車が来るとこんなかんじ。天井すれすれ。見ているこちらも怖くなってしまいますね
郵便屋さんも臆することなく出口にやってきました。見ていてヒヤヒヤですが、慣れた方々にとってはなんてことない日常のようです。
いやぁ、見た感じアウトだけどな笑
それでも、衝突音はなく、スムースに通り過ぎていきます。
人通りはもちろんですが、車通りもなかなか。特にタクシー、郵便屋、そして出前の車両が多い印象です。プロの方々は通り慣れているからなのか、躊躇なくこの道を利用し、そしてなかなかのスピードで、通過していくので驚きです。
再び入口付近、泉岳寺駅側へやって参りました。上に見える空間は、山手線・京浜東北線の旧線。これが見られるのは、鉄道ファン的には嬉しいところではないでしょうか。
紹介が遅れましたが、この場所はもともとあった水路を利用して、作られた道路なんですね。しかもその水路は、新橋~横浜が開業した当時からあったとかないとか!明治時代、この場所は海の中にありました。当時の海岸線は、現在の国道1号とほとんど一致します。
出典:大江戸今昔めぐり
海岸線沿いには当然、その景色を求めて人々が集まります。ゆえに鉄道を通そうにもそんな土地が残っていないわけです。こいつは困ったもんだ。そこで時の政府は、海に防波堤を築くように線状に埋め立てを行い、レールをその上に敷設することを考えます。
「鉄道を通す土地がないのならば、作れば良い」
というわけです。ただ、沖に鉄道が敷設されてしまうと、困ってしまうのが船乗りたち。船を沖合に出すことができなくなってしまいます。困りましたね。みなさんならどうしますでしょうか。
政府は、鉄道が走る築堤に船を通すための、水路設けてその問題を解決しました。なるほど。ただ、時が進むにつれて、埋め立てが進み、このエリアの海岸線は、さらに東進していき、海の上を走っていた鉄道も陸の上を走るようになりました。水路の跡が道路として生まれ変わったた結果、このように高さのない道路が生まれたわけでした。
港南二丁目の看板が。住所の素敵な響きからは想像できないDEEPな場所。
かつては幾台ものタクシーの提灯、天井上の電灯が、このガードをくぐることができず、この場所でそぎ落とされていったとか・・・あぁ悲しい。そんなことからこの高輪橋架道橋は、
提灯殺しのガード下
の異名を持つことにもなりました。今では、このガードの高さに合わせて、都内タクシーの提灯がコンパクトになったとか、ならなかったとか、そんな噂までございます。
それにしても、行ってみて驚いたのは、ほとんどの通行者がこの場所にたじろぐことなく、自然に歩いていたことです。部外者の私は、この光景に興奮するわけですが、正直、地元の人々にとっては、生活の一部でしかないんですね。当たり前のことですが、この珍百景と向き合って、そんなことを感じたわけでした。
この光景も2020年4月11日までです。この光景がなくなるのは寂しいところですが、この高輪の街の発展も楽しみであります。次なる100年に何を残してくれる街になるんでしょうね。
おしまい
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