市政会館 | 日比谷を帝都時代から見守る大長老建築

関東

都営 内幸町駅から徒歩2分、日比谷公園の南端に御年95歳の近代建築が佇んでいます。1929年(昭和4年)竣工の市政会館です。再開発が著しい日比谷界隈において、その存在が近年いっそう際立っています。

市政会館の歴史と今

市政会館

晴れた日の姿はこれ以上のものはない美しさ。設計は佐藤功一。

立体的なシンメトリーな意匠とそれらをまとめ上げる時計塔がなんとも美しいですね。

現在はオフィスビルとして利用される市政会館。その歴史を遡ると、台湾、満州、そして関東大震災後の帝都 東京で地域運営を担った後藤新平にたどり着くことになります。

正面入口

国外での行政経験を携え、1920年(大正9年)、東京市長に就任した後藤はよりよい地方自治を志し、東京市政調査会を設立します。市政会館はその拠点施設として計画をされたものでした。

青タイルが美しい市政会館内部

淡い水色のタイルにより厳かさの中に落ち着ける雰囲気がありますね。

ただ、その完成には別の人物の紹介も欠かせません。時の四大財閥の1つ、安田財閥の始祖である安田善次郎です。彼は後藤の理念に共感し350万円の寄付で東京市政調査会を支援を図ります。ただその最中、富を蓄積する財閥運営に意を唱える暴漢の刃に倒れこの世を去ります。陰徳(人に知らせずひそかにする善行)を是とした安田は、それまでの寄付も匿名で行っていました。その真意が汲まれていれば、、と悔やまれます。

市政会館の時計塔

そして後藤もまた市政会館が竣工する半年前に脳溢血で倒れ、帰らぬ人となりました。1929年10月に市政会館は完成し戦災も免れ、現在では自治体の東京事務所や指定都市市長会事務局など公共領域の団体が多く入居しています。後藤、安田亡きあとも地方自治のさらなる洗練を願った彼らの志は今日にも引き継がれているのでありました。

再開発が進む日比谷公園界隈

再開発の端緒となった東京ミッドタウン日比谷。

変わらぬものがあれば、変わるものもある。

今後、日比谷公園界隈は大きな変化を迎えようとしています。それは官民一体なったTOKYO CROSS PARK構想です。日比谷公園のリニューアルに合わせて公園沿いに4棟の高層ビルを建設し、都市の回遊性を高めることを目指す巨大再開発計画です。すでに進行中の計画は2036年(令和18年)の新帝国ホテル完成をもって完了する予定となっています。

東京帝国ホテル

帝国ホテル。手前の本館は2030年度、奥のタワー館は2024年度から建て替えに向けて順次縮小していく。

新帝国ホテルのイメージ(Impress Watchより引用)

NTT日比谷ビルやみずほ銀行内幸町本部ビル(旧第一勧銀本店)等の跡地

3棟の建設予定地。NTT日比谷ビルやみずほ銀行内幸町本部ビル(旧第一勧銀本店)等の跡地である。

2029年(令和11年)に竣工100年を迎える市政会館。日比谷の次なる街並みがそのお祝いをしてくれることでしょう。広々とした区画、緑地と賑わいのバランスが良い日比谷は個人的にも好きなエリアです。次世代の方々にもこれらが受け継がれることを願って今回は筆をおろそうと思います。

おしまい

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